北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

娘の高校の参観日

2005-05-14 23:20:58 | Weblog
 久々に、書き込みを三日も滞らせてしまいました。この週末はいろいろなことがありましてね。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■娘の高校の参観日 の1本です。

【娘の高校の参観日】
 下の娘が通う高校の参観日およびPTA総会、保護者懇談会があるというので、妻と二人で参加をしてきた。

 参観の授業は担任の先生が保健体育の先生と言うことで、保健の授業。

 喫煙が健康に及ぼす害について、とくとくと語られておりましたよ。

 もう時効と言うことでお許しをいただきたいが、子供たちは吸うべきではないとは、未成年の時に少しいたずらをした身としては実によく分かる事柄である。

 実際、息切れがして運動ができなくなり、「これはタバコのせいにちがいない」ということで、私自身はそれ以来一本も吸わなくなった。

 一生に一度もタバコを吸わなかったなどと言う、聖人君子を気取るつもりは毛頭なくて、失敗を自覚すれば人間は時に成長するものだ、ということではなかろうか。

 まあ失敗を失敗と思わず、成長のない人も世の中には多いのだが(^-^;)。

    *   *   *   * 

 授業参観後のPTA総会も無事に終わり、各クラスでの保護者懇談会。

 全部で参加者は先生以外に8名だったが男親は私ただ一人。父親というものは子供のこの年代の教育にはあまり参加しないようだ。

 授業参観に行くのが教育熱心だとは一概に言えないけれど、自分の娘がどんな校舎に通い、どんな先生からどんな話を聞いているのか、という娘の現場には興味がある。

 他にどんなお母さんがいるのか、というのも会ってみなければ分からないし、先生がどういう人なのか、と言うことも妻からの伝え聞きではなく、自分のその目で見て学校を自分の五感で感じるのがよい。

 そうすれば、娘との会話でもいくらかは学校の情景が目に浮かぶだろう。

 たった一度だけ学校へ行ったからと言って娘との距離が劇的に近くなるなどということはないけれど、普段から娘の生活に関心を持たない者が、ある日突然反省して娘に声を掛け始めたりしても、普段からチャンネルを形成していなくては放つ声も届きづらいに違いない。

 「父親は子供を叱らなくてはならない」などという本を読んで、突然勇気を奮って子供をしかり始めても、子供は普段と違うお父さんにとまどうばかりだろう。

 事は普段の行動や生活の延長線上にあるのである。

    *   *   *   * 
 
 「愛情の反対は憎悪ではありません。無関心なのです」とはマザー・テレサの言葉。

 子供だけでなく、社会全般に対して気力を振り絞って関心を持ち続けられれば、もっといろいろな事が分かるのでしょうね。

 物事は分かれば分かるほど、分からないことが多くなるもの。そうしてまた分からないことを増やすために勉強をするのである。

 だから物事を知っている人ほどなお勉強をするものだ。一度そう言われるくらい勉強してみたいものである。

 最近はあまり本を読まなくなったなあ…。

 娘よ、私の分も本を読んでくれー。

コメント
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