やはり冬。だらだらと雪が降り始めました。まちなかは、雪まつりのための除雪を一生懸命していますよ。
本日の夜十時からNHK教育の『ETV特集』で「にっぽんの地方を歩く」~宮本常一生誕百年 地方を見つめた民俗学者、が放映されますのでお知らせします。観られない方はビデオ録画をどうぞ。
【五衰】
技術士という国家資格があります。
これは科学技術に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画,研究,設計,分析,試験,評価又はこれらに関する指導の業務を行う者、ということになっていて、対象領域は科学領域のほぼ全般をカバーしており、機械、船舶、から建設、農業、水産、環境部門など、今では21の技術部門があります。
私は建設部門に属しているのですが、この資格を持っている人たちの勉強会があって、私もときどき参加しています。
今の話題は、地域のあり方やまちづくりの今後についてなにか提言ができないだろうか、ということです。
特に北海道では人口減少が加速して行くので、そうした条件下でまちづくりがどのようになるのだろうか、ということについて意見交換をしているのです。
* * * *
例えば、地方自治体では下水道整備を行うのに、補助金をもらって、さらに起債という借金をしますが、使い始めるとこれを下水道使用料で償還して行くということになります。
使っている以上、一定の期間を経た場合は管の交換なども含めて清掃などの維持管理を行いますが、これにも費用がかかります。
会合の中である町における試算が示されました。そこでは仮に人口が今のままでずっと変わらないとすれば、今の下水道に関する借金は赤字なのだがその赤字の額も変わらずに推移する、しかし人口が減少すれば使用料金が減るので、維持管理費用をまかなうことができず赤字がどんどん増大して行く、というものでした。
都市における下水道は、効率的かつ安定的に水を浄化するシステムとして考えていたのですが、そのシステムは人口減少によって将来維持出来なくなる可能性があるということはショックでした。
町は生き物であって、盛んなときもあれば衰えるときもある。そういうことをひしひしと感じるようになりました。
* * * *
安岡正篤先生の本を読んでいたら、『木の五衰』という言葉が出てきました。樹木の衰える五つの形という意味です。
その一つは「懐(ふところ)の蒸れ」。枝葉が茂ることで風通しが悪くなるということです。
二つ目は「裾あがり」といって、根が浅くなること
そうすると三つ目には「末(うら)止まり」といって成長が止まる。
四つ目には「末枯(うらが)れ」が始まる。末というのは梢(木末~こずえ)のことで、木が先から枯れてくること。
そして五つ目はさまざまな害虫がつく「虫食い」になる。
私の樹木のことを多少は勉強しましたが、たしかにこういった諸症状は木の不健康な状態。
そのうえで、こうした五つの衰えはたとえ話として人間形成にもつながり、まちづくりにも繋がるように思えるのです。
まちも賑やかになることで目や心配りの行き届かない状態になることがあり(懐の蒸れ)、そこでまちづくりに対する深みや深遠なる天理が失われて行く(裾あがり)。
やがて末端で物事がうまくいかなくなり(末止まり)、末端から縮小が始まる(末枯れ)。
そうして弱ってしまったまちに、いろいろなしがらみがぶら下がってきて弱体化が進むというものです。
これを防ぐには退潮を早い時期で察知し、枝葉を適切に剪定し(整理・休止・撤退)、根を健全にする(経営状態・人心の健全化)を図らなくてはなりますまい。
「改革、改革」と口では言えるものの、その具体的な手法を見定める知識・見識と、実行する胆識を備えるのは容易ではありません。
まちづくりのリーダーには力量が求められ、住民にも覚悟が必要です。
まちも日々新たな『活物』なのです。
本日の夜十時からNHK教育の『ETV特集』で「にっぽんの地方を歩く」~宮本常一生誕百年 地方を見つめた民俗学者、が放映されますのでお知らせします。観られない方はビデオ録画をどうぞ。
【五衰】
技術士という国家資格があります。
これは科学技術に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画,研究,設計,分析,試験,評価又はこれらに関する指導の業務を行う者、ということになっていて、対象領域は科学領域のほぼ全般をカバーしており、機械、船舶、から建設、農業、水産、環境部門など、今では21の技術部門があります。
私は建設部門に属しているのですが、この資格を持っている人たちの勉強会があって、私もときどき参加しています。
今の話題は、地域のあり方やまちづくりの今後についてなにか提言ができないだろうか、ということです。
特に北海道では人口減少が加速して行くので、そうした条件下でまちづくりがどのようになるのだろうか、ということについて意見交換をしているのです。
* * * *
例えば、地方自治体では下水道整備を行うのに、補助金をもらって、さらに起債という借金をしますが、使い始めるとこれを下水道使用料で償還して行くということになります。
使っている以上、一定の期間を経た場合は管の交換なども含めて清掃などの維持管理を行いますが、これにも費用がかかります。
会合の中である町における試算が示されました。そこでは仮に人口が今のままでずっと変わらないとすれば、今の下水道に関する借金は赤字なのだがその赤字の額も変わらずに推移する、しかし人口が減少すれば使用料金が減るので、維持管理費用をまかなうことができず赤字がどんどん増大して行く、というものでした。
都市における下水道は、効率的かつ安定的に水を浄化するシステムとして考えていたのですが、そのシステムは人口減少によって将来維持出来なくなる可能性があるということはショックでした。
町は生き物であって、盛んなときもあれば衰えるときもある。そういうことをひしひしと感じるようになりました。
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安岡正篤先生の本を読んでいたら、『木の五衰』という言葉が出てきました。樹木の衰える五つの形という意味です。
その一つは「懐(ふところ)の蒸れ」。枝葉が茂ることで風通しが悪くなるということです。
二つ目は「裾あがり」といって、根が浅くなること
そうすると三つ目には「末(うら)止まり」といって成長が止まる。
四つ目には「末枯(うらが)れ」が始まる。末というのは梢(木末~こずえ)のことで、木が先から枯れてくること。
そして五つ目はさまざまな害虫がつく「虫食い」になる。
私の樹木のことを多少は勉強しましたが、たしかにこういった諸症状は木の不健康な状態。
そのうえで、こうした五つの衰えはたとえ話として人間形成にもつながり、まちづくりにも繋がるように思えるのです。
まちも賑やかになることで目や心配りの行き届かない状態になることがあり(懐の蒸れ)、そこでまちづくりに対する深みや深遠なる天理が失われて行く(裾あがり)。
やがて末端で物事がうまくいかなくなり(末止まり)、末端から縮小が始まる(末枯れ)。
そうして弱ってしまったまちに、いろいろなしがらみがぶら下がってきて弱体化が進むというものです。
これを防ぐには退潮を早い時期で察知し、枝葉を適切に剪定し(整理・休止・撤退)、根を健全にする(経営状態・人心の健全化)を図らなくてはなりますまい。
「改革、改革」と口では言えるものの、その具体的な手法を見定める知識・見識と、実行する胆識を備えるのは容易ではありません。
まちづくりのリーダーには力量が求められ、住民にも覚悟が必要です。
まちも日々新たな『活物』なのです。