函館の二日目です。今日は暑くなりそうです。
朝ご飯がてら、函館朝市をぶらぶら。最初の角で気っぷの良いカニ屋の奥さんから「カニの選び方知ってるかい?知らないしょ?知らないとだまされるよ、損するよ!」と声を掛けられ思わず足を止めてしまいました。上手だな~。
「まずオスとメス、どっちの値段が高いか知ってる?」
「・・・メス・・・かな?」
「ブッブー。反対!メスは卵に栄養をとられるから身が入らないの!オスでなくちゃだめ。これ第一ね」
「『茹でたて』にも気をつけてね。ちょっと前に死んで鮮度の落ちたやつを【茹でたて】にすることもあるし、地方発送のときは、目の前で見た良いやつを本当に送ってくれるかという信用もあるのよ。店に茹で釜がちゃんとあるかどうかも見極めて。うちじゃ、買ってもらった良い品にタグをつけて、それを食べるという日の直前に茹でて送るからね。お店はちゃんと選んでよ」とのこと。
確かにカニなんて、あまり知識も持たないままに結構高い買い物をしているのだなあ。ほうほう、これからは信用がおけるかどうかを第一にお店を選ぶことにいたしましょう。発送料はサービス、などという、『安けりゃよい』というのには、やはり安い理由があるようで。
* * * * *
そのお店で教えてもらった朝ご飯の店が、どんぶり横町の「茶夢」。「ご主人がイカ釣りの漁師だからとにかくイカが美味しいよ」とのこと。


そこでイカ入りの三色丼を頼んだところ、ご主人が現れて「それだけでいいのかい・・・」と話しかけてきます。
「・・・ど、どうすれと・・・」
「イカソーメン食べてみない?絶対旨いから」
「なるほど、ではいただきましょう」ということで、お勧めのイカソーメンをいただくことに。
出てきた三色丼は新鮮なイカ、ホタテ、イクラで美味しかったけれど、併せて小鉢の付け合わせがぞろぞろと出てきます。そのうち「旦那さん、旦那さん」と声がかかり、「イカソーメンの切り方を見せてあげる」とのこと。

その様子は、まず一枚のイカを薄く切り、それぞれをさらに薄く斜めに包丁を入れれておきます。そしてその二枚を重ねて今度は蕎麦よりもさらに細く引き切りで切ってゆきます。これは細い!


出てきたいかソーメンを特性つゆでいただくと、おお!これはイカが甘い!細く切ることでイカの甘みが強調されるのです。これは絶品。なるほどこれからは私も包丁をよく研いで、練習してみたくなりました。
しかしご主人この腕前を見せたくて仕方なかった風。ともかく、美味しかった。ごちそうさまでした。

* * * * *
さて、今日のメインは高田屋嘉兵衛の資料館。地図で調べてたどり着いてみたら、なんと昨日も来た金森倉庫群の一角でした。なんだ~、昨日来れば良かった。

高田屋嘉兵衛をWikipediaで調べると、『高田屋嘉兵衛(たかたや かへえ、明和6年1月1日(1769年2月7日) - 文政10年4月5日(1827年4月30日))は、江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥』と出てきました。
高田屋嘉兵衛は淡路島生まれで、江戸末期に函館を中心に活躍した廻船問屋です。しかし単なる商人でなかったのは、鎖国時代に北方領土を巡って対ロシアとの間の国際紛争になりかけたゴローニン事件に関わって、ロシアの捕虜になりながら、これを無事解決に導いた立役者でありました。
先に訪れたのは高田屋嘉兵衛資料館。こちらは昔の蔵を利用して、高田屋嘉兵衛の生涯を通じた関連資料が展示されています。
次に向かったのは北方歴史資料館で、こちらや資料館から徒歩数分のところにあり、高田屋嘉兵衛の七代目の子孫が経営する資料館なのだそう。高田屋嘉兵衛に関するビデオ映像を見せてくれたり、古文書や資料が所蔵されています。

作家司馬遼太郎さんは高田屋嘉兵衛を主人公にして「菜の花の沖」という小説を書いています。また彼をして「当時の日本で世界に通用するただ一人の実業家で、江戸時代で一番偉かった人」という賛辞を送っています。
残念ながらまだ私はこの小説を読んでいないので、早速読んでみなくてはなりません。また、松前藩に捕らえられたゴローニンは帰国した後に、『日本幽囚記』を執筆し、これは各国語に翻訳されて当時の日本人観を変えさせるのに役立ったと言われています。今では岩波文庫にも収められているので、この本も読んでおかなくてはなりますまい。
司馬さんは週刊朝日の記事の中で、「この日本幽囚記を読んで、この高田屋嘉兵衛に会いたいと言ってはるばるロシアからやってきたのが神田ニコライ堂のニコライ神父なんですよ」というエピソードも紹介していました。
また人と書物に出会った感じです。
* * * * *
帰り道は駒沢苫小牧の甲子園初戦を聴きながらのドライブでしたが、9回に悪夢のような逆転をされて、初戦突破ならず。残念ながらこの夏の北海道勢は早々と姿を消しました。惜しかったなあ。
朝ご飯がてら、函館朝市をぶらぶら。最初の角で気っぷの良いカニ屋の奥さんから「カニの選び方知ってるかい?知らないしょ?知らないとだまされるよ、損するよ!」と声を掛けられ思わず足を止めてしまいました。上手だな~。
「まずオスとメス、どっちの値段が高いか知ってる?」
「・・・メス・・・かな?」
「ブッブー。反対!メスは卵に栄養をとられるから身が入らないの!オスでなくちゃだめ。これ第一ね」
「『茹でたて』にも気をつけてね。ちょっと前に死んで鮮度の落ちたやつを【茹でたて】にすることもあるし、地方発送のときは、目の前で見た良いやつを本当に送ってくれるかという信用もあるのよ。店に茹で釜がちゃんとあるかどうかも見極めて。うちじゃ、買ってもらった良い品にタグをつけて、それを食べるという日の直前に茹でて送るからね。お店はちゃんと選んでよ」とのこと。
確かにカニなんて、あまり知識も持たないままに結構高い買い物をしているのだなあ。ほうほう、これからは信用がおけるかどうかを第一にお店を選ぶことにいたしましょう。発送料はサービス、などという、『安けりゃよい』というのには、やはり安い理由があるようで。
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そのお店で教えてもらった朝ご飯の店が、どんぶり横町の「茶夢」。「ご主人がイカ釣りの漁師だからとにかくイカが美味しいよ」とのこと。


そこでイカ入りの三色丼を頼んだところ、ご主人が現れて「それだけでいいのかい・・・」と話しかけてきます。
「・・・ど、どうすれと・・・」
「イカソーメン食べてみない?絶対旨いから」
「なるほど、ではいただきましょう」ということで、お勧めのイカソーメンをいただくことに。
出てきた三色丼は新鮮なイカ、ホタテ、イクラで美味しかったけれど、併せて小鉢の付け合わせがぞろぞろと出てきます。そのうち「旦那さん、旦那さん」と声がかかり、「イカソーメンの切り方を見せてあげる」とのこと。

その様子は、まず一枚のイカを薄く切り、それぞれをさらに薄く斜めに包丁を入れれておきます。そしてその二枚を重ねて今度は蕎麦よりもさらに細く引き切りで切ってゆきます。これは細い!


出てきたいかソーメンを特性つゆでいただくと、おお!これはイカが甘い!細く切ることでイカの甘みが強調されるのです。これは絶品。なるほどこれからは私も包丁をよく研いで、練習してみたくなりました。
しかしご主人この腕前を見せたくて仕方なかった風。ともかく、美味しかった。ごちそうさまでした。

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さて、今日のメインは高田屋嘉兵衛の資料館。地図で調べてたどり着いてみたら、なんと昨日も来た金森倉庫群の一角でした。なんだ~、昨日来れば良かった。

高田屋嘉兵衛をWikipediaで調べると、『高田屋嘉兵衛(たかたや かへえ、明和6年1月1日(1769年2月7日) - 文政10年4月5日(1827年4月30日))は、江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥』と出てきました。
高田屋嘉兵衛は淡路島生まれで、江戸末期に函館を中心に活躍した廻船問屋です。しかし単なる商人でなかったのは、鎖国時代に北方領土を巡って対ロシアとの間の国際紛争になりかけたゴローニン事件に関わって、ロシアの捕虜になりながら、これを無事解決に導いた立役者でありました。
先に訪れたのは高田屋嘉兵衛資料館。こちらは昔の蔵を利用して、高田屋嘉兵衛の生涯を通じた関連資料が展示されています。
次に向かったのは北方歴史資料館で、こちらや資料館から徒歩数分のところにあり、高田屋嘉兵衛の七代目の子孫が経営する資料館なのだそう。高田屋嘉兵衛に関するビデオ映像を見せてくれたり、古文書や資料が所蔵されています。

作家司馬遼太郎さんは高田屋嘉兵衛を主人公にして「菜の花の沖」という小説を書いています。また彼をして「当時の日本で世界に通用するただ一人の実業家で、江戸時代で一番偉かった人」という賛辞を送っています。
残念ながらまだ私はこの小説を読んでいないので、早速読んでみなくてはなりません。また、松前藩に捕らえられたゴローニンは帰国した後に、『日本幽囚記』を執筆し、これは各国語に翻訳されて当時の日本人観を変えさせるのに役立ったと言われています。今では岩波文庫にも収められているので、この本も読んでおかなくてはなりますまい。
司馬さんは週刊朝日の記事の中で、「この日本幽囚記を読んで、この高田屋嘉兵衛に会いたいと言ってはるばるロシアからやってきたのが神田ニコライ堂のニコライ神父なんですよ」というエピソードも紹介していました。
また人と書物に出会った感じです。

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帰り道は駒沢苫小牧の甲子園初戦を聴きながらのドライブでしたが、9回に悪夢のような逆転をされて、初戦突破ならず。残念ながらこの夏の北海道勢は早々と姿を消しました。惜しかったなあ。
