北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

どこまでが平時、どこからが有事

2017-07-24 23:43:48 | Weblog

 

 今日は帯広出張。

 帯広地区の舗装事業関係者と、地域の現状について意見交換をする懇談会を開催したのです。

 本当ならば自家用車でやってきて、明日は周辺の関係者を訪ねて回るつもりだったのですが、なんと昨日の置戸ドライブ中に跳ね石をフロントグラスに受けたらしく、30センチものヒビが入ってしまいました。

 そのため、車は急きょ修理に出すことにしましたが、車両保険に入っていなかったので、思いがけない出費となりました。やれやれ。


    ◆  


 帯広の建設業界は、昨年の台風による洪水被害の復旧で大変な忙しさなのだそう。

 「忙しい」というのは良い意味もありますが、持てる資源に対して求められることが多すぎるということでもあります。

 復旧のための工事には、資材、運搬手段、施工機械、施工人材、工事全般をまとめ上げる技術者といった要素が必要で、どの一つが不足しても全体がスムースには進みません。

 最近の十勝地域では特にトラックが不足しているそうで、砂利やアスファルト合材を運ぶ手段が不足気味なのだそう。

 トラックを差配する業者さんも、「普段から付き合いのある運転手さんも姿が見えなくて、いったいどこへ行っているのだろう、と思うのですが、高い時給や条件を示されたところへ行っているのだろうと思う」とのこと。
近隣の
 こうした場合、災害対応などでは、緊急対応が許される場合もありますが、緊急時期はすぐに終わってしまって、被災から一年も経とうとすると、もう通常の規則による制限がかかります。

 災害時・非常時というものは、一週間やそこらで終わるものではなく、復旧がなされるまでが非常時なのではないでしょうか。

 公共事業が減少し、最低限の資源をやりくりすることが当たり前になるなかで、突然災害が発生して大量の資源を必要とされた場合、地域で足りないものは外部から調達しなくては対応ができません。

 安全や地域の産業を守るための平時の規制はどこまで緩めることができるのでしょうか。どこまでが「有事の際」なのでしょうか。

 いずれ実態を調べてみて、どこに問題があるのか探ってみようと思います。

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