昨日の支笏湖観光。
帰りに、「まっすぐ帰るのも面白くないのでどこか近くに良いところはないものか」と考え、東千歳の"キウス周堤墓群"の遺跡を見に行くことにしました。
北海道横断自動車道を千歳ジャンクションから帯広方面に走ると、「東千歳インター」があって、次に「キウスパーキングエリア」が出てきます。
以前からこのキウスというところに、縄文時代の遺跡があると聞いていて、一度は行ってみたかったのですがなかなか実現せず、今日がちょうど良い機会となりました。
キウス周堤墓群の場所は、千歳東ICのすぐ北側で国道337号線の東側にあり、ちょっとした駐車スペースが設けられています。
訪れてみると、トイレも完備されているほかに遺跡を紹介しつつガイドしてくださるボランティアの皆さんの案内所がありました。
今回はNさんというかたにガイドをしていただくことになって、早速出発。
こちらは約3千年前の縄文時代後期の遺跡で、今まさにユネスコ世界遺産に登録を申請中で、この7月27日には登録が認められるのではないか、という「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとなるホットな遺跡とのこと。
「27日に登録が認められたらマスコミも殺到するのではありませんか?」と訊くと、「はい、もうすでに撮影は終わっていて、おそらく27日の発表の後には番組が放送されると思います」とのこと。
しかしこの"周堤墓"という単語が分かりません。遺跡はあちこち見ましたが、初めて聞く単語です。
Nさんにそのあたりを訊ねてみると、「周堤墓と言うのは文字通り、土を掘ってその土を周囲に丸く堤のように積み上げてあるクレーターのような形の遺跡です。で、その堤の中の丸い部分にいくつもの墓があったのだろう、と考えられています。ここにはそんな周堤墓が約10個ほど残っていることから周堤墓群という表現をしています」とのこと。
木チップが敷き詰められた遠路を歩いて行くとまずあるのが、「2号周堤墓」という遺跡の中でも一番大きな周堤墓です。
円の外から見るとただ土が盛られてうず高くなっているところしか見えなくて、「中が見えないとイメージしにくいですね」と言うと、「ええ、しかし世界遺産になるためには『保護されている』ということが重要な要素になります。世界遺産の話が出る前は来場者は平気でなかに入れたのですが、世界遺産の準備をする中で中には入れなくなりました」とのこと。
おまけに国の史跡ながら国が発掘調査を認めないために詳しいことがよくわからないのだそう。
しかしながら、そんな遺跡とはつゆ知らない明治時代に、この遺跡群のど真ん中に道路を作り、今でも国道337号線がこの遺跡群の真ん中を通っています。
【パンフレットより】
実はこの遺跡の研究が始まった1900年代前半には河野常吉さんと言う方が聞き取り調査を行い、「アイヌのチャシ(砦)ではないか」ということになり、その認識で史跡の仮認定が進んでいたとのこと。
それが河野常吉さんの息子の河野広道さんの代に、道東斜里町にあった似たような地物から縄文遺跡ではないか、という認識が深まってきました。
はじめは「環状土籬(かんじょうどり)」という表現を使っていましたが、1979年に分かりやすいように「周堤墓」と改めたそうです。
道東にもある周堤墓ですが、ここキウスのものは、直径が70mほどもあるものがいくつも作られていて、規模の大きさが際立っています。
類推すると一か所当たり約3000㎥ほどの土を動かしているようで、一日に一人が人力で動かせる量が1㎥だとすると、約3千人工になります。
10人で300日、20人で150日ほどの労働で、食べ物が余程潤沢な時代に、強い指導力と集団の力がなければ作れない遺跡でしょう。
また調べてゆくと、この周堤墓の中に埋葬される人のほかにその外側に埋葬されていた人もいたらしく、何らかの身分階層があったことが類推されますし、また外側からもかなり技術的に優れた石棒が出土したりしており、まだまだいろいろなことが未解明な状態です。
許されたチップ歩道を歩いて行くと、1号周堤墓のところに階段2段ほどの見晴台がありました。
goproカメラを高く持ち上げて撮影してみましたが、これといってすごいものが見えるわけでもなく、おとなしい感じの遺跡です。
縄文遺跡群の世界遺産というと、つい道南と北東北のことと考えがちですが、ここ千歳周辺にもこんな遺跡があるということは知っておいて損がありません。
縄文フィーバーになる前にぜひどうぞ。
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いよいよ開会式が行われ、東京オリンピックが始まりました。
いろいろな意見はありますが、私は純粋に世界のアスリートが日ごろの練習の成果をぶつけ合う最高の舞台だと思って楽しもうと思います。
日本選手、がんばれ!