私の勤める会社は今日が仕事始め。
毎週月曜日にはフロア全員で一週間の予定を確認する朝礼が行われますが、特に月の始めには安全朝礼として今月の安全目標を確認します。
毎朝支店長が出勤してきたときにもその場にいる全員で神棚に二礼二拍手一礼で拝礼をしていますが、今日は一年で最初の日。
安全朝礼の後にも社員全員で神棚に拝礼をして気を引き締めます。
もう何十年も前ですが、長野県の松本で国営公園事務所に勤めていた際に諏訪神社上社の宮司さんとお話しする機会がありました。
そのときにいろいろな話をした後で宮司さんがおっしゃるには「所長さん、どうか建設業の皆さんへの心配りをよろしくお願いします。地域の暮らしだけではなく私たちの祭りもこの方たちの力がなくてはとてもできないのですから」と言われたことを今でも思い出します。
民間の建設業者さんが、現場仕事の安全を神様に祈ることは当然のように思われていて、人知の及ばない出来事で働いている人たちに危険が及ばないように願うのです。
若い時に、「そうした神道への信心の気持ちは業者さんだけではなく、公務員であっても同じだろう」とある上司から叩き込まれました。
その意味は、「我々は公共事業という名のもとに、木を倒し土を削り、結果としてそこに生きている生き物の住処や命を奪っている。そのことへの怖れや申し訳ないという気持ちを常にもっていなくてはならない」ということでした。
そして言われたのは、「だから人事異動などで新しい土地に赴任して行ったときは、(これからの事業の中で人間のために多くの生き物の命をいただくという事に対する諸々の禍事/禍言(まがごと)がありませんように)という願いを込めて地域一番のお宮にご挨拶に行くのだ」ということでした。
こんなことは今の職場でまともに上司から言われたらハラスメントの誹りをうけてしまうかもしれません。
しかし当時の私にはそうした心が非常にしっくりきて腹にストンと落ちる思いがしたものです。
それ以来、新しい赴任地へ赴く際には地域の一番のお宮への挨拶を欠かさないようになりました。
もちろんそのことに何か具体のご利益を期待するものではありませんが、自分の中に見えない何かに畏怖の念を感じるということが尊いことのように思えたのは事実です。
筑波大学名誉教授で分子生物学者の村上和雄さん(1936年1月2日 - 2021年4月13日)はそうした不思議な存在を「サムシンググレート」と表現しました。
雑誌「致知」のなかで村上先生は、「サムシング・グレートがどんな存在なのか、具体的なことは私にも分かりません。しかしそういった存在や働きを想定しなければ、小さな細胞の中に膨大な生命の設計図を持ち、これだけ精妙な働きをする生命の世界を当然のこととして受け入れることは、私には到底できないことでした。
それだけに、私は生命科学の現場で研究を続ければ続けるほど、生命の本質は人間の理性や知性だけでは説明できるものではないと感じるようになりました。
我われは大自然の不思議な力で生かされているという側面を決して忘れてはならないと思うのです」と述べられています。
新しい一年を迎えるにあたり清々しさと背筋の伸びる思いがする職場の朝でした。