ニセコでのリゾートからの帰りに余市町にあるニッカウヰスキー余市蒸留所に立ち寄りました。
ガイド付きの見学もしたことがありますが今回は満杯で予約が取れませんでした。
しかし、自由に見学できるニッカミュージアムがリニューアルされた、という話を聞いてせっかくなので立ち寄ることに。
昔ながらの軟石づくりの倉庫の中を使ったニッカミュージアムは、以前はウィスキーとは何かといったあたりから始まっていたのが、今はニッカウィスキーの思想やブレンドということにも焦点が当てられていました。
大麦麦芽から作られるモルトだけではなく、大麦以外のトウモロコシやライ麦、小麦などの穀物(グレーン)から作られるグレーンウィスキーもより詳しく語られていました。
一般には大麦麦芽だけで作られる「シングルモルト」ウィスキーこそがその蒸留所の個性だとして珍重される傾向にあります。
しかし本物にこだわった竹鶴政孝自身がカフェ式連続蒸留機を待ち望み、これでグレーンウィスキーができたときに「日本でモルトウィスキーができたのが最初の革命ならば、このたびのカフェグレーンウィスキーができたのは第二の革命と言える」と喜んだと言われています。
実はこのカフェ式蒸留器を導入するにあたっては、竹鶴政孝は資金繰りに困っていました。
そこで以前から知り合いだった朝日麦酒(現アサヒビール)の社長だった山本為三郎は、子会社の朝日酒造がカフェ式連続蒸留機を設置してグレーンウィスキーを製造、それをニッカウヰスキーが購入するという形で納めていたのだそう。
ニッカのモルトとこのグレーンをブレンドした「ブラックニッカ」は大いに売れて、今も多くのウィスキーファンに愛されているというエピソードが大きく語られていました。
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またイギリスで結婚した奥さんのリタさんのことも詳しく紹介されていて、交換日記を英語で書いていたというエピソードなどもありました。
残された写真を見ていると、リタさんが笑っている写真があまりないなあ、と思っていましたが、日記などから二人が本当に愛し合っていたことが改めて分かり、ほっと一安心。
国産ウィスキーづくりのために艱難辛苦を極めた政孝氏のノートからその苦労ぶりも良くわかり、非常に心を打つ展示内容になっています。
もうこうなると、売店へ直行して余市蒸留所限定のウィスキーを買わずにはいられませんね。
「もう行ったことがある」と言う方も、リニューアル後のニッカミュージアムをもう一度ご覧になることをお勧めします。
久しぶりに飲んだウィスキーはガツンと来ました。