北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人生の最後に登場する自分とは

2023-11-15 22:09:59 | Weblog

 

 先日ある会合で昔の同僚と一緒になりました。

 話題はやはり老いた親の話。

 ご両親の話を聞くと、「生きているのは妻のお母さん一人です」とのこと。

「それでお元気なの?」と聞くと「もう施設に入って過ごしている」のだそう。

 聞けば典型的な老人性フレイルで、ちょっと転んで骨折をして入院、その結果筋肉が衰えて車いす生活になってしまったのです。

「要介護4という事で、今は特別養護老人ホームでお世話になっています」
「そこに入れたのは良かったですね」

「はい、でももう娘である妻のことは『〇〇ちゃん』と名前で呼んでいますが、私が挨拶してもニコニコしながら『お世話になっています』というだけで、多分認知症も進み始めていて、私の名前も義理の息子であることもわかっていないんだと思います」
「まあでもそれで幸せなら良いのですがね」

 すると彼は堰を切ったように話し始めました。

「それが、お義母さんは施設に見舞いに行くといつもケラケラと笑っているんです。どうしても女性の方が長生きで女性が多くて男性が少ないのですが、女性たちと一緒になって明るく笑っているんです。それに比べると男性はどうもむっつりしているというかしかめ面の人が多いように思うんです」
「認知症になると、本当の本性が出てくるのでしょうか。でもその方の最後の根っこのところが明るい方だと幸せですね」

「本当にそう思います。周りも幸せにします。お年寄りでもいろいろな性格があって、最晩年が不平不満を述べたり人を信じられなくて疑って怒りにまみれる人もいると聞きます。どういう生き方をするかって、認知症が進んでしまうと自分では選べないのかもしれませんが、そんな形で最後に登場する自分が明るい性格でいられるというのは本当に幸せだなあ、と思います」

 脳が正しく働いていられれば、自分の意思で怒りや不平・不満も口には出さないように自分の意思で行動をコントロールすることができますが、その自制心が失われると自分の本性/本音が出てきます。

 そのときにどんな自分になってしまうのかは自分では計りかねます。

 それが笑顔でいられるようになるためには、脳トレのようなことよりは「徳を積む」というようなことの方が効果があるのではないか、と思いますが、もちろん根拠はありません。

 しかしそんな期待にすがりながら徳を積む生活をする方が、今が豊かになるのではないか、とも思えます。


 さてさて、自分自身の最晩年はどんな自分になっていることでしょうねえ。 

コメント
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