北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【番外編】蕎麦の食べ比べ~いいぞ蕎麦研

2008-02-02 23:58:10 | Weblog
 朝一番で掛川へ向かいました。今日から明日にかけて掛川で行われるスローライフのイベントへ参加するのです。


 掛川に到着してまずは蕎麦研究会の会合に参加。掛川を訪ねたときはできるだけ蕎麦研の仲間たちを刺激して腕を上げてもらわなくてはなりません。

 今日の目玉はいろいろな粉を打ち分けて食べ比べること。いつもの長野県の製粉工場から取り寄せた『スーパー安曇野』系二種類、茨城産、福井産、それに掛川で昨年栽培して取れた粉を石臼で二種類に引き分けた粉を用意。

 これらをそれぞれ打ち分けて、順番に茹でて食べ比べ。食べ比べのために、試食専門のサポーターたちも大集合して待ちかまえています。次から次に出てくる違う種類の蕎麦は、旨さの水準がめちゃくちゃ高いレベルで、そんな世界の食べ比べにみんな大喜びで大満足。

 中には「蕎麦研の試食に参加してから蕎麦に興味を持つようになって、出かけたときに蕎麦屋さんに行くことがあるんだけど、食べてみて『あれ…?…蕎麦研の方が旨いな…』と思うことがあるんですよ」という人もいます。
 本当の美味しさを知ることの幸せと、どこかで不幸もあるのかも。

  

    ※    ※    ※    ※

 さて、蕎麦研メンバーの腕も次第に上がっていることが分かり嬉しさもあるのですが、次なる目標は段位の取得です。そろそろ近くで段位認定イベントが開催されるという噂もあり、我々のメンバーはまずこぞって初段を取得してもらいたいもの。

  

 そのためには試験の条件は楽々クリアできる余裕を普段から身につけなくてはなりません。人に見られるくらいのプレッシャーには楽々耐えて、制限時間内にしっかりした蕎麦を打つ練習をそろそろ始めることがよいでしょう。
 
 もう少し要求レベルを上げて、もっといろいろなことに頭を巡らせる経験が必要です。まだまだこの程度で満足されては困るのです。目標は常に伸ばせば届くくらいの高さに設定して精進してくださいね。

 家を貸してくれた通称「めだか」さん、素敵なお家でした。ありがとうございました。

 【写真提供「掛川蕎麦研究会」】
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スローライフ講演~江戸の将門様

2008-02-02 23:32:16 | Weblog
 朝一番で掛川へ向かいました。今日から明日にかけて掛川で行われるスローライフのイベントへ参加するのです。

 本当は明日のスローサイクリングのために、自分の自転車を持って行こうとしたのですが、今回は断念して借りることに。行く先に自転車があるのなら無理はしないことにします。

 今日の私のお仕事はちょっとは人生の役に立つような講演会。東京で単身赴任を始めてから自転車で巡り続けた東京を神社の世界から眺めて、今に生きている日本民族の信仰の心について考えてみました。

    ※    ※    ※    ※

 転勤の多い私としては、新しい職場や任地へ赴いたときはまず地域の神社に挨拶をしてから始めるのですが、これは建設省の先輩からの教えが心に残っているから。

 その教えとは「新しい土地へ行ったら、そこの一番の神社へ行って挨拶をしてから仕事を始めると良いんだ。我々のように土や川を動かすことを仕事にしているものには、生き物の住みかを奪ってしまうことも多い。そのことに畏れを感じて神社へ挨拶に行くんだよ」というもの。

 それ以来、古事記や日本書紀を読んだり神道の世界に触れる機会が多くなり、国民の信仰とは何か、ということについて考えることが多くなり、時間があればその土地ごとの神社を巡ることが多くなったのです。

 そして現代都市の東京にも、この手の日本人の信仰心が特に神社には現れていて実に面白いのです。

 その一番典型的な姿を江戸総鎮守神田明神に見ることができます。
ここは元々伊勢神宮に捧げる田んぼがあったために神田と言われるようになったのですが、もともとは大手町の方にお社があったのだそう。


 
 この神田明神の主祭神は大巳貴命(オオナムチノカミ)と呼ばれて、大国主命(オオクニヌシノミコト)と同じ神様が祀られているのですが、二番目に祀られているのは何と平将門なのです。

 神社が移ってくる前の元々あった大手町には今でも将門の首塚が残されていて、日本の経済の一大中心地に動かせない信仰の力があるのです。



 神社は江戸城が増築をした際に今の場所に移り、江戸城の北東の鬼門の押さえとなり、江戸総鎮守として江戸城を見守り続けました。

 それが明治七年に明治天皇が行幸される際に、かつて政権に弓を引いた逆賊として祭神からはずされ、それがまた氏子の強い熱意により昭和58年に祭神として復活し、今に至っているというのですから、実に面白いではありませんか。

 神田明神の氏子は成田山新勝寺にお参りをしないと言われているそう。それは時の政権が将門の乱の鎮圧のために成田山で将門に呪詛をさせたためで、成田山へ行くことは将門を苦しめることになるから、ということなのだそう。東京の繁栄がこうしたエピソードで彩られているなんて、実に興味深いことですね。

 そんなエピソードに始まって、仏教渡来から始まる神仏習合、国学の台頭、明治の神仏判然令などなど、神と仏をめぐる案外知らない歴史について思い切り語らせてもらいました。

 こういう話を聞いてから寺社仏閣を巡ると、日本という国が今までとは違って見えてくるはずです。さて聞かれた方はどんな感想をもたれたでしょうね?

    ※    ※    ※    ※

 夜は遅くまでまた飲み明かしました。

 私のアドバイスで結婚の決意をしました、というA君が奥さんを連れて参加してくれてちょっと嬉しいサプライズ。なかなか素敵な奥さんでしたね。どうぞお幸せに。

 今なお新しい人たちに会えるのが掛川らしいなあ。  

 
 
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広場はこうありたい

2008-02-01 23:16:44 | Weblog
 広場のあり方について、別のブログからも応援のメッセージが来ました。そこでもう少し広場について掘り下げてみたいと思います。

 今までのまちづくり装置としては、我々はついつい作って行く建築にばかり目が向いていましたが、作ったときに【残る】あるいは【残す】広場にはほとんど目がいかなかったのだと思います。

 わざわざ広場を作るときでも、上から見たときの建物敷地や道路、公園などの敷地境界で管理者が変わってしまい、広場と隣接する施設との関係性はほとんど顧みられませんでした。
 広場を作るときのポイントはアルファベットの【L】のように、下の土地だけではなくそれに隣接する垂直な建物のあり方が問われます。このLの関係を上手につくれば室内から外、外から室内へと続く関係性を構築できて、内にも外にも賑わいを演出することが出来ると思います。

 そのときの垂直な建物では特に1~2階の低層階は徹底して商業に誘導すべきです。ものを売る面が広場に面しているということが重要です。

 さらには、カフェのように外の空間を室内からにじみ出すように自由に一体的に管理できるような管理システムも重要になります。

 日本の場合は、この一体的な管理が苦手で、すぐに縦割りの敷地だけの管理者が登場してしまうのです。これは最近は特に厳しい「管理者責任」でもあるのですが、逆に言うと管理者の権限も有しています。

 そしてこの管理者権限はむやみに不公平には使えない、という縛りから逆に公平に公平に、という意識ばかりが強くなりがちです。

 「今日だけ、特別に、この人だけに」もっと自由に使わせても良いと思うのですが、それを認める基準とマニュアルが必要です。これが使節を柔軟に使うことを阻害しているのです。

 アメリカではまちなかの一定の面積を管理するNPOが組織され、ここにその範囲内の企業がお金を出し合って、清掃や管理、地域の運営などを行うということもされていて成果を上げているようです。

 日本でも昔は商店街や町内会がこうしたことを担っていたはずですが、次第にその力が衰えるのと同時に、官の管理者に頼りすぎている嫌いがあります。

 「自由」は自分たちの責任の下に取り戻さなくてはならないのです。

 日本にもっと面白い広場を増やしたいですね。

   
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