
今日は都市計画学会の全国大会が開催されるという事で、朝から岩手県盛岡市へ移動。
新千歳空港から乗った飛行機は気流が悪くて随分揺れました。
午後1時半に盛岡市河南地区にある 盛岡市観光文化交流センター「プラザおでっせ」に集合して、約1時間半にわたって地元のガイドさんの案内で周辺のまち歩きをしました。
これはこうした学会の研究発表会などで会合の前日に開催地の紹介をする「エクスカーション」といわれるもので、地元を良く知る、あるいは良く知ってもらうためのミニ遠足というわけ。
今回は、夕方のシンポジウムのテーマも「都市盛岡の形成 ~この魅力はなぜ生まれたか~」というものなので、盛岡を事前に少しでも知っておくことに意味があります。
実は盛岡市と岩手県は人材輩出の宝庫でしたす。
総理大臣だけでも、盛岡市から原敬、東条英機、斎藤実、奥州市からは海軍大臣も歴任した米内光正などを輩出しています。
また文学では石川啄木と宮沢賢治、また札幌農学校2期生で「武士道」を著した新渡戸稲造先生も盛岡生まれで、さらに野球で言えば菊池雄星党首と大谷翔平君も岩手県の出身なのです。すごい顔ぶれですね。
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エクスカーションは、河南地区の岩手銀行赤煉瓦ビルから始まりました。
この建物は明治44年に建てられて東京駅に似ているなあ、と思ったら、設計者は東京駅を設計した辰野金吾さんでした。
こちらの方が東京駅より先に建てられたとのことで、辰野先生もまさか東京駅の練習と言うわけではありますまい。
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この河南地区には江戸時代の店から明治、大正の建築が今なお元気に残っていて観光めぐりの良質なコンテンツになっています。
街並みとして一定のエリアが昔ながらに残っているわけではありませんが、立派に残されてしかも保存されつつ使われているのも立派です。

かつての九十九銀行は石川啄木宮沢賢治青春館として利用客を迎えています。

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エクスカーション後に開かれたシンポジウムでは、盛岡の魅力はなぜなのか、ということをテーマに開催されました。
はじめに市役所の方がこれまでの都市計画、まちづくり思想の歴史を語っていただき、その後のパネルディスカッションでは、再開発事業代表、商店街代表、まちづくり団体代表といった方々が、盛岡で活動しながらその市民性や頑張っているところを紹介してくれました。
面白かったのは、全長360mの肴町商店街の元青年部長と言う佐々木さんのお話で、「自分が若い時から上の世代からは『責任は取るからとにかくヤレ!』と言われて育ってきた。やはり今成の課題に対して責任世代がどう立ち向かったのか、というところを見せないと後で後悔すると思った。そうやって背中を見せているうちに、次の世代が登場し始めていて、ようやく『責任は取るからヤレ!』と言える立場になりました」と嬉しそうでした。
おまけにこちらの商店街青年部では、自分たちの狭い了見では良いアイディアが出ないから誰でも入れるようにしよう、と商店街の関係者でなくても青年部に入れるように規約を改定したのだそう。
その結果、年齢が若くなると同時にアイディアも多岐にわたるようになり「他の商店街からは『人さらい』と言われています(笑)」とのこと。
ある団体が新陳代謝するのってなかなか大変なはずですが、ここでは工夫でそれを乗り越えようとしているとのことで興味深いお話でした。
短時間の盛岡市ウォーキング観光でしたが、ガイドさんがついてくれたことでより深く街を眺められ、盛岡の味わい深さを知ることのできる良い旅になりました。