栃木出身の本木青子は、退職して実家に帰ろうという時期に、社長のおごりで高級鮨店で食べることとなった。
その美味しさと職人の手に惚れこんだ青子は、実家に帰るのを中止し、今までより給料の良さそうな不動産会社に再就職し、給料の範囲内で通うようになった。
1983年から1992年。
バブルから不況の時代に突入するまで、多分、普通のOLだったであろう青子が、感じ考えていたこと。
それは、そこまで華やかなことは無かった私には、想像もつきません。
ただ、あの時代に、座るだけで3万円という鮨店で自腹で食べようとする点は、見上げたものだと思いました。
それだけ惚れていたんですね。
貯金はともかく、狂騒的な時代にしてはそこだけは堅実だったのかも。
その美味しさと職人の手に惚れこんだ青子は、実家に帰るのを中止し、今までより給料の良さそうな不動産会社に再就職し、給料の範囲内で通うようになった。
1983年から1992年。
バブルから不況の時代に突入するまで、多分、普通のOLだったであろう青子が、感じ考えていたこと。
それは、そこまで華やかなことは無かった私には、想像もつきません。
ただ、あの時代に、座るだけで3万円という鮨店で自腹で食べようとする点は、見上げたものだと思いました。
それだけ惚れていたんですね。
貯金はともかく、狂騒的な時代にしてはそこだけは堅実だったのかも。