星のひとかけ

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漱石忌に、、「雨の降る日」、、の話。

2006-12-09 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
9日が漱石の命日だというのを、朝、「天声人語」で知りました。
ジョン・レノンの命日は覚えていても、夏目漱石の命日を知らない自分、、いいのか、、?(笑)

漱石が亡くなるまで暮らした、漱石山房のあった場所は、、現在は漱石公園というのがあるそうで、行ってみようかと不図思ったけれど、朝から冷たい雨、、。昼過ぎに外出したら、、なんだか霙のように、雨傘をばらばらと打つ音。。 その音で、思い出しました、、。

 ***

漱石の作品、『彼岸過迄』の中に、「雨の降る日」という話がある。漱石は、私小説的な作品を書くことの極めて少ない作家だったけれども、、作品のところどころに、私的な出来事やその想いを刻みつけているのがわかる。

「雨の降る日」は、松本という男の家の、幼な児、宵子が突然に亡くなってしまう日の出来事、、、今で言う、乳幼児の突然死と同じものなのだろう。この出来事の背景に、漱石の実子ひな子の死があるのはよく知られている。年譜を見たら、、ひな子が亡くなったのは11月の末、、『彼岸過迄』の中では、、「それは珍らしく秋の日の曇った十一月のある午過であった」、、とある。その少し後に、、

  「そのうちに曇った空から淋しい雨が落ち出したと思うと…」

という記述があり、宵子の死と葬儀が描かれ、、「雨の降る日」の最後の一文は

  「己(おれ)は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭になった」、、で終わる。

漱石は、面会日を木曜と決めていた。それは、フランスの詩人ステファヌ・マラルメが、文学の集まりとして「火曜会」を設けていたことから取ったのだったっけ、、? それは忘れたけれど、マラルメについては、漱石の『行人』にもエピソードが取り上げられている。、、これは余談、、

漱石山房の写真を見て、かねてから不思議だったのは、庭にある南国風の大きな葉っぱの木。。 いったいこの樹は何だろう、、とずっと思っていたのが「芭蕉」だった。写真では、タビビトの木に良く似ている。芭蕉なんて、私の故郷では見たことなかったから(タビビトの木は植物園の温室で見たから)、、その南国風の芭蕉と、バルコニー風の縁側を見て、どうして漱石はこんな南国趣味の家に住んだんだろう、、なんて思っていた。

あんな葉っぱの芭蕉に雨が降れば、、それは大きな音がするでしょうね。。
『彼岸過迄』の宵子の死の直前にも、、「芭蕉があるもんだから余計音がするのね」という台詞を書いている。漱石は実際、、庭の芭蕉に降る雨音を聞くたび、言い知れない思いに苛まれていたのだろうと思う。悲しみ、、無力感、、寂寥、、そのさまざまを、、「芭蕉に降る雨音」、という描写されないものによって表現した鋭さ、、。心情を吐露しない文章でも、漱石の傷はつたわってくるし、心情を描かない裏の、「人間らしさ」をも、、感じられるように思う。漱石の聴覚的な記述には、、ほかにも驚くようなものがあるけれど、、この「雨の降る日」はその最たるものと思う。

きょう、、自分の傘に冷たい雨を受けながら、、そんなことを考えていました。

雨に鎮められた心、、、明日はもっと晴れるかな、、?