星のひとかけ

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2022 あけましておめでとうございます

2022-01-04 | …まつわる日もいろいろ



2022年 新しい年はじまりました。

三が日、 駅伝の順位に一喜一憂しながら 小料理屋のおかみ気分を味わう いつもとまったく変わらないお正月。 ステイホームの食卓にはコロナも入る余地はありません。 感染症との暮らしも3年目ですね。。 気にしつつ気にせず、、 背筋のばして愉しんで生きましょう。







今年は 折敷をつかって小料理屋のカウンター風に。。 
日本酒のおともを次から次へとお出しする女将、、笑。  大好きな大原千鶴さんのように きゃっきゃと笑いながら明るく手早く 美味しい《アテ》がつくれるようになりたいな、、




 ***


話変わって、、
就寝中の半覚醒時に なんだか頭の中でいろいろと物事をかんがえたり、 文章をつくったり、、 ときには作曲などしたり(起きると全く思い出せませんが)、、 そういうヘンな癖があるのですが

年末から年始にかけて半分寝ながら考えていた事、、。 
「意地を張る」とか 「意地になる」ということは、 諦めない為やただ前進する為の推進力にはなるに違いないけれども、 それでは ほんとうに納得のいく到達点にはたどり着けないのかもしれない、、
、、 という なんだか分かったような分からないようなことを考えていました。

人生も半世紀を過ぎ、 お知り合いのなかには役職定年で人生の一区切りを経験された方や、 もうすぐそういう時期を迎えるという方も。。 体力的にも変わらずにいられるわけもなく、、。

そういう年代になって、 意地を張るとか 意地になって何かをやり続けるという気概もたしかに必要かもしれない、、 その一方で 自分のこころ、 自分という存在が 本当にたどり着きたい姿、、 見えているかな…  そこに向かっているのかな… 

そんな無意識下の迷い? 疑問? が、きっと 半覚醒時の頭に浮かんできたのだと思います(笑) ヘンな私。。


でも、、 そんな時。。 新年のウィーンフィルニューイヤーコンサートを観ていた時、、 ピアニストの反田さんが仰った言葉に気づかされました。 反田さんがシュトラウスのポルカをピアノ編曲で独奏されて、 その弾むようなリズムや抑揚を奏でるにあたって 「音の着地点」を探る と仰っていたこと。。
ぽーんと音を出すための意識とは別に、 ひとつの音色が空間に舞い上がって どれくらいの時間 どんな風に響きがひろがって どんな風に着地するか、、 たぶんそういうことを意識する、という意味かと思うのですが、 すごく納得がいきました。  

そう、、 その「音の着地点」が見えたら そこへ向かってどんなふうにアプローチすれば良いかが分かってくるのですね。 弾かない時間にも音楽はある。。


さっきの 意地の話に戻りますが、 何かをやり遂げる力を《意地》とも言えます。 中島敦の「李陵」のなかに こんな一文がありました。

  想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、(しかもこれから死に至るまでの長い間を)平然と笑殺していかせるものが、意地だとすれば、この意地こそは誠に凄じくも壮大なものと言わねばならぬ。

この壮大な力もじつに尊いものです。 それと共に 反田さんの仰る 「音の着地点」を探すこと。。 そこへ意識を向かわせること。。 それが出来たら、、。



大袈裟なことは考えてません、、 日々をがむしゃらに歩むのでなく、、 《着地点》を想っていこう、、と。

 ***





、、 ふと思えば  昨年はおそらく365日、 全制覇で珈琲を淹れつづけた気がします。。

旅先の喫茶店や 湯治場の温泉で淹れてもらった珈琲も飲みたいな~ とも思いますが、 毎日 毎朝 ちゃんと珈琲が美味しく飲めたこと、、 珈琲を淹れるひとときがあること、、 それは素敵なことと言えますね。


今年はどんな年になるでしょう…



思い描く 着地点は どんなですか……?


その場所へ … 
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