星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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ビートニク

2003-02-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
 今月は、アラン・ポーに始まり、ビートニクの時代からロックの時代を経て、再び今、どうしてビートやポーやディランなのか、、、アメリカ20世紀後半史をずずっと自分で辿ってみようと思っています。『ビートニク』(99年)という映画を最初に見た時、コロンビア大学や、ニューヨーク大の文学の講義でギンズバーグ、ケルアック、バロウズらを、「アメリカ文学史の偉大な作家達」「ビートの伝統は今も生きている」と妙に崇めているのが可笑しくて不思議でならなかった。たかが50年前の、しかも社会のはみ出し者で、麻薬中毒で、映画でも言ってたように「ジャック以外みんなホモで」・・・それを「この町の誇りです」とか言って年寄りになったギンズバーグを表彰したり、「アメリカ最大の知性!」とバロウズを紹介したり、、、(ロックの殿堂入りと一緒だな)と。。
放送禁止で、演奏場所もなかった音楽が、25年経つと「ロックレジェンド!」と言って表彰される。もちろん、私はとっても愛情を込めてこういうことを考えているのです。ばらばらと飴玉みたいに砲撃や枯葉剤を降らせるくらいなら、『裸のランチ』の幻覚の方が私は好きですから。

 下で、ディランのローリングサンダー・・の事を書きましたが、このツアーの大きな目的が、殺人罪で収監され、無実を主張しつづけていた黒人ボクサー、ルービン・カーター救済のためのLIVE。逮捕の状況など少し知ってみると、60年代、70年代でさえ人種への偏見は19世紀からさほど変っていないように思えてくる。南部作家のフォークナーの視点もポーからの流れの中に考えてみようか、と思っています。私はフォークナーは全然わかっていないので。。ポーの時代の南部での人種意識、白人の進化論的優位観、それと『モルグ街の殺人』との(オランウータンが犯人だったという)関わり・・・同じような「悪の枢軸」を今のアメリカは別のところに求めているようです。

 ***

 さて、ここからはロックの話。今度のディランのCDを聴いて発見したこと。発見・・と言ってもたいしたことではないんですけど、1曲目の『今宵はきみと』・・すごいロック感溢れてて、耳にしていきなり飛びましたね♪ あの転調した後のまるでボレロのように豪華なギター・・。クレジットに誰々とは載ってないけど、やっぱりミック・ロンソンがいたツアーだなあ、と心底思いました。私はこの曲のディランのオリジナル聴いてないので聴いてみたい。(サイトの視聴では全然ちがうアレンジですものね)

で、発見というのは、どこかで聞き覚えのあるこのタイトル『今宵はきみと』。そうですよ、第2期Jeff Beck Groupでやっているではありませんか。早速チェックすると確かにディランのカヴァーです。Voの感じが全然ちがうので気づきませんでした。この中でベックはものすご~~く官能的なギターを弾いてます。ブルージィなベックと、まさに雷鳴のような76年バージョンと。本当に全然ちがうんだけど、ミックはベックのものを聴いたかなあ、たぶん聴いていただろうなあ、などと両方を交互に聞き比べてにやにやしたりしているのです。

 ボウイと離れたあとのミック・ロンソンがソロをつくって、そうした後でディランとツアーして、、、アメリカにも家を持って「インディアン・サマー」なんかを創っていた、という流れがやっとやっとなんとなくわかってきた。。。伝え聞くミックの人柄にはアメリカは馴染んだのかもしれませんね。アメリカにはそんな懐の広さも確かにあるのに。。
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