星のひとかけ

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戦後80年の今年読んでいる本①:『真珠湾の冬』ジェイムズ・ケストレル著

2025-02-21 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
タイトルの「戦後80年」ということに特別重い意味を込めている訳ではありませんが、、

いつからか二つの大戦にまたがる時代を描いた(または当時書かれた)小説、というものへの関心が続いて、これまでも様々な作品を読んできました。 マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』(読書記>>)や、 カズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』、 あるいは占領下のパリとノルマンディー上陸作戦を描いたエルザ・トリオレの『最初のほころびは二百フランかかる』(読書記>>)や、、

エンターテインメント小説では、ナチズムが台頭してくる1930年代のドイツを一年ずつ描いた警察小説ゲレオン・ラート刑事シリーズ(読書記>>)や、 占領下のイタリアでのレジスタンス活動を描いた実話にもとづく『緋い空の下で』マーク・サリヴァン著(読書記>>)や、、ほかにも色々と読みました。

戦争史にもともと関心があったわけではなくて むしろ逆に歴史無知であるがゆえに、小説を通じてやっと当時のヨーロッパや時代の空気というものを感じ取れてきて、、 わたしたちは戦争のあとの悲惨や傷痕についてはよく聞かされてきたけれども、 戦争がはじまる前の少しずつ変化していくときの世の中の空気や、そこに生きていた人の様子というのはなかなか実感できていなかったな… と。 

そういう時代の変化というのは、 戦争を直接描いた作品とかよりもむしろ全然関係のない、 例えば片山廣子さんのエッセイ集で読む日常の食べ物の記述だとか、 芥川龍之介の上海紀行文とかの中で ふっと身につまされるように感じることがあって、、 その極めつけが 室生犀星さんが芥川について書いた 「今のようにトゲトゲしい時勢ならもちろん自殺なぞしなかったであろう」という、昭和10年の回想(『深夜の人・結婚者の手記』>>)でした、、 この言葉がなんだか衝撃で、それから深く考えこんでしまいました。

もちろん芥川は死んでしまいましたから、 戦争への時代をどう書いたかは知りようが無いですが、、そのあとの読書では、 野上弥生子が大戦前夜の1938年から欧州へ旅立った日記『欧米の旅』を読んだり、 藤田嗣治の従軍画家としての日記を読んだりして、、(それが今年への年末年始のことでした)、、戦争へ突き進んでいく(実際はすでに始まっている)時でも、一般市民や作家や画家たちですらこれほどまでに戦争の実感が伴わずに生きてしまうものなのだ…となんだか空怖ろしくなったりして。。

 ***

めちゃめちゃ前置きが長くなりましたが、、そんなわけで今年は戦後80年だとあらためて気づき、、 これまでの経緯のあと読んでいる本と、いうことで今日のタイトルなのです。

野上弥生子や藤田嗣治の当時の日記を読んで、 いったい何のために日本軍はあんな戦争に突き進んでいったんだろう… と空しく思うばかりで、、(大陸への進出までならまだ意図は掴めても、太平洋戦争を始める意味はまったく理解できないから)、、そんなときこの本に出会いました。



『真珠湾の冬』 ジェイムズ・ケストレル著 山中朝晶・訳 ハヤカワミステリ 2022年

とても話題になった本らしいですね。。 確かに。ものすごく面白いです。
第二次大戦がずっと物語の背景になっていますが 戦争が主題ではなくてあくまでも殺人犯を追う刑事の物語、そして愛の物語なのです。。 だけど真珠湾攻撃から日米開戦という激流に主人公は巻き込まれていき、 戦時下の日本や東京大空襲、そして終戦まで、、 日本の戦史が物語と密接につながってくる、、 

1941年のハワイ。 白人青年と東洋人の女性が、拷問され惨殺された事件が起こる。殺された白人青年はどうやら米軍将校の家族関係者、、そこで内密に捜査にあたる為、退役軍人でもある刑事マグレディが呼び出される。。
マグレディは事件の犯人を追って香港へ向かうが、、 ハワイの真珠湾が日本軍に攻撃され日米開戦となり、マグレディは帰国することもできず日本軍に捕らえられ、横浜港へと連行されていく、、 そこから長い長い戦時下の日本との物語が…

事件当初、、 ほんとうならクリスマスのハワイで恋人に永遠の愛を告白するはずだったのに… というマグレディ刑事のとっても純粋な恋心と一途なハードボイルドぶりは、誰しも好ましく感じる主人公ではないでしょうか。。 戦時下の東京の描写や、日本の家庭での風習など、よくあるハリウッドもののトンチンカンな所もなくて相当調べ上げて書いたものと窺えます。

第二次大戦での日本軍、、というと リチャード・フラナガン著の『奥のほそ道』なども読みましたが、捕虜への非道な扱い、軍部の横暴や人間性を失った思考停止状態の兵士たち、、など 読むのがつらくなるものでしたけれど、、 『真珠湾の冬』を読んで日本人として救われるのは、 大戦時の日本人にも〈平和〉を求める〈国際人〉がいた、、と書いてくださっていること。。よくぞこんな風に日本人にシンパシイを保って書いてくれたと、、(ちょっと美化しすぎな所もあるかもしれないけれど)、、著者さんには感謝すらしたくなります。

終盤には雪深い信州の野沢温泉村まで登場して、、ほっこり。。。 峠の茶屋らしき処を〈喫茶店〉と訳されているのには、、(終戦直後の野沢温泉に喫茶店は無いべ…)とクスっとしたりしましたが、、 純粋一途な刑事さんの物語、、読後感は温かいものになっています。 続編もぜひ読みたいですね。


ところで、、 こんな記事をみつけました
 真珠湾攻撃「だまし討ち」の責任は「大使館にあり」は本当か? (Wedge online)

日本の大使館員も、タイピストも、 『真珠湾の冬』には登場するので、お読みになった方にはちょっと興味深い記事かと思います。。 当時のタイピストって、女性? それとも男性? 女性が主な仕事でした、、よね?

これは関係ない話だけれど… 
、、 かつて 大戦中の満州にいて、終戦後たいへんな思いをして帰国した婦人から聞いた話で、、 敗戦後の混乱のなかを逃げていく時に、 軍部の車両に乗せられることになって、、 その婦人は「私はタイピストです!」と叫んだら、お前はこちらの車両へ乗れと別の車に乗せられた、と。。 それがどういう意味をもつのか子供の私には聞いても全然わからなかったけれど… (以上余談)


 ***

上で、、芥川は「自殺なぞしなかったであろう」という室生犀星さんの言葉を書きましたが、、

真珠湾攻撃の年、芥川龍之介が生きていれば49歳、 まだまだ作家として充実期にあったはずの年齢です。

なぜそんなことを思うかと言えば、、芥川が20代の青春期に交友のあった、アイルランド人のロイター通信員、、(「彼 第二」で書かれています>>)、、もしも二人が生きていて、大戦の頃まで交流が続いていたら、、 そんなありもしない想像を膨らませてしまうのは私の悪い癖…

でも、 ひとたび心を交わし合った友人ならば、 国が異なるからといって、 戦争が始まったからといって、 友情が消えてしまうことなど無い、、 ですよね、きっと…



戦後80年目の読書


これからも つづいていきます。。


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