ヒトラーが突然現代に現れて、出自がまったくのブランクになったまま周囲が勝手にさまざまな思惑を投影しておもしろがってどんどんイメージが膨れ上がっていくあたり、ちょっとコジンスキー原作、ピーター・セラーズ主演で映画化もされた「チャンス」(原作は「預言者」「庭師 ただそこにいるだけの人」)みたいなところもある。
ここでのヒトラー像というのが有名な俳優を使うわけでなく(わざわざブルーノ・ガンツが「ヒトラー 最後の12日間」で演じたのを引き合いに出したりしている)、外側だけの再現に徹している。
ヒトラーというのは積極的な才能とかカリスマを持っているからというより限りなく空虚であることで人々のルサンチマンを吸収して大きくなったのではないかと思わせる。
独裁というのが権力側の強制であるより、民衆の側の付和雷同と英雄待望の方に多分に根を持つであろうことが、人々のリアクションからはっきり見て取れる。
ヒトラーは映像によるプロパガンダを最も早く使いこなした政治家で、テレビ出演がウケるというのも大いにリアリティがある。特にテレビが最も怖がる沈黙で視聴者を含むテレビ機構全体を掌握してしまうあたり。
あるいはヒトラーというのは生きた人間(つまり死にもする)であるより映像の中のキャラクターとして不死の存在になっているのかもしれない。
それにしても、ドイツのテレビというのも料理番組に痴呆的バラエティにと、結構程度が低い。
ちょっと前だったらブラック・コメディととれたかもしれないが、今や笑えない。
(☆☆☆★★★)
帰ってきたヒトラー 公式ホームページ
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映画『帰ってきたヒトラー』 - シネマトゥデイ
ここでのヒトラー像というのが有名な俳優を使うわけでなく(わざわざブルーノ・ガンツが「ヒトラー 最後の12日間」で演じたのを引き合いに出したりしている)、外側だけの再現に徹している。
ヒトラーというのは積極的な才能とかカリスマを持っているからというより限りなく空虚であることで人々のルサンチマンを吸収して大きくなったのではないかと思わせる。
独裁というのが権力側の強制であるより、民衆の側の付和雷同と英雄待望の方に多分に根を持つであろうことが、人々のリアクションからはっきり見て取れる。
ヒトラーは映像によるプロパガンダを最も早く使いこなした政治家で、テレビ出演がウケるというのも大いにリアリティがある。特にテレビが最も怖がる沈黙で視聴者を含むテレビ機構全体を掌握してしまうあたり。
あるいはヒトラーというのは生きた人間(つまり死にもする)であるより映像の中のキャラクターとして不死の存在になっているのかもしれない。
それにしても、ドイツのテレビというのも料理番組に痴呆的バラエティにと、結構程度が低い。
ちょっと前だったらブラック・コメディととれたかもしれないが、今や笑えない。
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