そうしたら、すでに事故が起きた後から話を説き起こし、機長のサリー(Sully=原題)が大事故が起きてしまう悪夢や幻想に悩まされる状態で、そこに査問会の聞き取りが何度も繰り返される。
片方のエンジンは止まっておらずわざわざ着水して乗客を危険にさらす必要はなかったのではないかという疑惑だが、見ている方としては後知恵でケチをつけているのではないかと思ってしまうし、気が短い人間だったらキレそうな状況だが、サリーは少なくとも対人的には冷静沈着であり続ける。
ありえた悲惨な現実、乗客の立場から見た事故の状況など、少しずつずらした描写を重ねることでごく短時間で済んでしまった事故を長編映画全体を支える柱に据える作劇は、昔だったらアートフィルムでしか使わないような技法だが、それを軽々と使っている。
全体に演出タッチも力まず淡々とサリー同様冷静であり続けている。
コンピューターのシミレーションでは着水しなくてもよかったのではないかという言い分には、そこには人間的要素Human Factorが欠けている、無数の想定外の出来事が起きた時にとっさに対応できるのは人間であり、コンピューターにできるのはそれまで起きた出来事とロジックの累積でしかない、といったテーマが浮かび上がってくるのが鮮やか。
自分の悪夢や不安と戦いながら人間的要素でコンピューターのシミレーションを凌駕するヒーローというのは、イーストウッド監督主演の「ファイヤーフォックス」もそうだったが、実話ネタとあってずっと地に足がついている。
(☆☆☆★★)
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