prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「Arc アーク」

2021年07月05日 | 映画
不老不死の方法が確立されて芳根京子とその夫岡田将人に適用されるが、手落ちがあってというくだりまでは画面自体が現代美術的なソリッドな感触を見せるのだが、後半「船に乗れない人」たちの住む町に移ると一転してひなびた漁村の風景のモノクロ画面になる。

船に乗れない、というのは、ノアの方舟みたいに不老不死に乗れる金持ちに対する積み残される貧乏人のことかと思うと(実際、俺たち貧乏人には不老不死など関係ないと詰め寄るデモ隊が出たりする)そればかりでもないらしい。

漁村にいる小林薫の元漁師というのが積み残されたよりは積極的に船に乗らない、だけでなく最終的に実際にも象徴的な意味でも船に乗っていく、その両義的な展開。
悪く言うと、不老不死になったらどうしたらいいのかわからず方向性がはっきりしなくなってしまう図ともとれる。
死があるから生に異議があるというのはもう古い、というのは一定の説得力があるのだが、では何が異議があるのかわからないままということになる。

よくわからないのは、不老不死の技術がどうすると無効になるのかという設定。急に発現したりそうでもなかったりする。おかげでラストシーンの人間関係がなかなかつかめなかった。

永久保存された寺島しのぶのパートナーが同性で片翼だけつけている姿。生島治郎の「片翼だけの天使」ですか。これも説明不足。
原作読んでないもので、よくわからないところ多い。

石川慶監督はこれまでの作品と同様にエンドタイトルで最初か最後の位置を占めず、ローリングしていくうちのスタッフの一人に収まっている。どういう主義でそうしているのだろう。

冒頭の芳根京子のダンスパフォーマンスはリメイクの方の「サスペリア」みたい。