prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「下女」

2021年07月06日 | 映画
「パラサイト」みたいに持てる者は上で持たざる者は下という配置ではなくて、下女や子供たちが新しく作られた二階にいることが多い。
社会的立場と空間的な位置が一致せず、むしろ逆にしてある。

タイトルバックで男の子(なんと子役時代のアン⋅ソンギ)と女の子がずうっとあや取りをしているのが、これからさまざまに変貌して見せるさまざまな人間模様を象徴する。
本筋が始まると、あや取りの糸を引き取る形で織物工場で大量の糸が織られている映像につながり、さらに一家の妻が内職で裁縫をしている姿へと展開する。

上と下の対照だけでなく、頻繁に同じ階の部屋から部屋へと横移動撮影でつなぎ、また部屋を隔てるのは様式ながら襖や障子式の横に滑らせる方式の扉という具合に、空間造形がすこぶる意識的に構成されている。

展開とすると、この夫は警察に届けもしないで女の言うなりになっている割に女をびしびしひっぱたくという、どうして?と思うところがずいぶんある。

ジョセフ·ロージー✕ハロルド·ピンターの「召使」式の階級が性関係を媒介に逆転するドラマには違いないのだけれど、あそこで多用された鏡像の、その鏡の向こう側の世界のような空間や人間関係が初めから反対になっているような感じがあった。
と思ったらホントにそういうラストを迎えたのにびっくり。

「パラサイト」同様に豪雨が印象的。

ピアノを持つというのは、1960年の韓国とするとかつての日本でのそれ同様にブルジョア生活のシンボルと考えていいのだろう。
家を新築するのではなく増築するのは、「パラサイト」でみたように韓国は土地がないせいだろうか。

夫が自らライスカレーを作る(はっきりライスカレーと発音している)というのは、男尊女卑の儒教社会の韓国では珍しいのかな、日本経由のライスカレーなのかなど色々考えた。