兄オダギリジョーの無責任なちゃらんぽらんぶりが可笑しい。
弟池松壮亮が惚れた売れない歌手チェ・ヒソに仕事は何だと聞かれて小説家だと答え、じゃあ貧乏ねと言われるのに笑ってしまう。
日本人は少人数で韓国に乗り込んで撮ったこの映画の製作の試み自体が果敢でありながらそう大仰に思わせない。
右も左もわからない、言葉も通じない国の人間を、日本から見た型にはまったイメージから離れて描けているのは、遅れていると言われながらやはり日本もずいぶん変わったと思わせる。
オダギリジョーがちゃらんぽらんなままで日韓友好という大文字の言葉を使うのが、大仰で形式的な友好をからかっている感じで、情けないながらも国籍とは別に少なくとも喧嘩腰を収めて飯を食う関係になるのが一種の成果となる、そのささやかさが地に足をつけた感じ。
兵役でテコンドーを仕込まれているから韓国人の男とは絶対喧嘩するな、という格言?を絵に描いたようなシーンあり。
韓国語がまったく話せないので、英語がリンク·ランゲージになるわけだが、
池内のものすごくたどたどしい英語がご愛敬。
天使の造形は実はトラボルタの前例があるのだが、韓国がキリスト教国だということをオダギリの住居が教会と同じ建物なあたりから示しているのが周到。