エンドタイトルで真っ先に、監督より前にどーんと「原作 平野啓一郎」と出たのには驚いた。あまり例がないのではないかな。
三吉彩花が当人役というわけでもないのに「三好彩花」という役名で出ているのも珍しい。耳で聞く限り、ミヨシアヤカ、とまったく区別がつかない。
本編では「本心」のタイトル文字のそばにThe Real Youと出る。
ここではVF(Virtual Figure)と呼ばれる仮想キャラクターはもっぱら視覚と聴覚を置き換えた錯覚の上に成り立っていて、他の三つの感覚、特に触覚は仮想に対する実体を代表する位置づけを占めていると言っていいだろう。
下世話な発想になるが、触覚=セックスを代行できるようになったらどうなるだろうと思った。「ソラリス」のステーションを訪れる“お客”は性交可能だった。
三好は元セックスワーカーで、それで逆にじかに触るのに拒否反応が出るようになったらしいが、割とそのあたりは曖昧。
隅田川沿いは昔はホームレスがたむろしていたものだが、その代わりにウーバーを思わせるリアル・アバターと呼ばれる若いよろず代行業がたむろしている。
面白半分に好き勝手で気まぐれな指示を出してくる、しばしば姿も見せないお客の言うことを聞かねばならず、聞いたら聞いたであからさまに見下してくる。こっちまで腹が立ってくるが、手の出しようがないのがまた腹が立つ。
そう考えると、もっぱら視覚と聴覚にうったえるという点で、映画の機能をほぼなぞっているのに気づく。
高級レストランでお客がアバターに食事を代わりにさせたりするのだから、味や香りがわかった方がいいでしょうね。それはまた別の話になるが。