prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

6月14日(木)のつぶやき

2018年06月15日 | Weblog

「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」

2018年06月14日 | 映画
「24」以来のドラマみたいにヒーローたちが片端から負けたり消えたり、まさかこういう展開はしないだろうというストーリー展開をするようになっている。
必ずヒットし続けるという自信がないとこういう続け方はできません。
満漢全席で満腹したところでもう一皿と言われたみたいな満腹感を与える一方で、この続きを見せずにはおくものかというダメ押しする終わり方。

壮大かつ緻密で延々と続けられる世界観で通すのは連続ドラマでもゲームでも映画シリーズでもトレンドみたい。

とにかくこれまでのマーベル映画の膨大な数のキャラクターを捌いてそれぞれに見せ場を作るというオールスター映画なので上映時間も2時間半に及ぶことになったが、交通整理は行き届いている。

敵役がひとりであれだけヒーローたちがよってたかって勝てないというのにちょっと驚く。
いっしゅヒーローの数が増えた分、力が分散していまった感もある。

「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」 公式ホームページ

「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」 - 映画.com

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6月13日(水)のつぶやき

2018年06月14日 | Weblog

「モリのいる場所」

2018年06月13日 | 映画
国立近代美術館で催された熊谷守一展は見ていたが、この映画を見ると画家の創作の秘密なり人となりがわかって併せて理解が進む、という具合にはなっていない。
映画自体がここで描かれる一種の小宇宙として自足していて、何かのために貢献するといったあり方とは別なのだろう。

三十年にわたって家から出ていない、というのはさすがに画面を見ていても話半分だが、画材の類はどうしたのだろう、業者が届けに来たのだろうか、と真面目に問うのはまあヤボだろう。
画を描く場面もないし、個展を催す場面もない。

インドの詩人ラビントラナート・タゴールが幼いときの映画監督サタジット・レイに贈った詩にこういうのがある。

私は広い世界を経巡り
山や川を見た
多くの金を費やし
遠い道を歩み
世のすべてのものを見た
けれども
私は忘れていた
私の家のすぐ外に
小さな草の葉に
一粒の露がやどって
そのくぼみに全世界を写し取っていたことを

この詩と世界の捉え方に共通するものがあると思える。

山崎努と樹木希林が芝居を極めて芝居を超えた虫か草木と紛れる存在になっている。
場内は年配客で意外なくらい埋まっていた。美術展の客層と共通している感。

「モリのいる場所」 公式ホームページ

「モリのいる場所」 - 映画.com

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6月12日(火)のつぶやき

2018年06月13日 | Weblog

「葛城事件」

2018年06月12日 | 映画
三浦友和が徹底したクズ親爺を演じて各種演技賞を軒並みさらった一編。
この人も、デビュー当時の爽やかな二枚目ぶりからは想像もつかないようなキャリアの重ね方しているな、と思う。







「ファントム・スレッド」

2018年06月12日 | 映画
縫い目のひとつ、襞のひとつに至るまで一点の緩みも妥協もない完全主義ぶりと過剰なエレガンスが、ダニエル・ルイ=ルイスの役と役者の境目をなくしたオブセッションを見せる。

ダニエル・ルイ=ルイスのドアの向こう側から覗く短いショットはヒッチコックの「サイコ」からだろうが、服装から入って女性を思い通りのタイプに仕立てようとするオブセッションは「めまい」に近い。

そして女性が一方的に仕立ててられるのではなく、「マイ・フェア・レディ」あるいはその元のバーナード・ショーの「ピグマリオン」のように男が自分が作った女性像の虜になる逆転劇の面白さ。

キノコの食べさせ方、食べ方の駆け引きのスリル。

ジョニー・グリーンウッドの音楽のエレガンスと危なさ。

「ファントム・スレッド」 公式ホームページ

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6月11日(月)のつぶやき その2

2018年06月12日 | Weblog

6月11日(月)のつぶやき その1

2018年06月12日 | Weblog

「海を駆ける」

2018年06月11日 | 映画
「アラビアのロレンス」のアリ(オマー・シャリフ)登場シーンみたいな据えっぱなしの長回しで燦々とした海のはるか彼方からやってくる男を捉えたオープニングカットから、この男どこからやって来たのだろうといえば、「海」としか言い様がないリアリズムを超えたニュアンスを出す。

インドネシアの明るい太陽の下であらゆるものが曝されているような中でちょっとづつ不思議な出来事やマジカルな飛躍が織り込まれていくところにセンスを示す。

津波がこの地にも襲ったという話から、自然に東日本大震災が連想され、映像ではかえって描けない、枠を区切って写したら矮小化してしまうような膨大な人の死が背後にあることが自然に感じられてくる。

ディーン・フジオカはもうもうどこに属しているのかわからない存在自体が柄にぴったり。
何か生と死の間を縫ったり弄んだりしているようなのだが、おどろおどろしい方に行かずに明るく透明なトーンを崩さない、あるいは透明なのだがどこか怖い。

阿部純子が細っこくて今の日本の女の子っぽいのだが、周囲に対する警戒がかった光を目に浮かべているのが印象的。最近では「孤狼の血」の薬局の子でも印象的だったが、ウィキにアイドル顔でなく女優顔だとスタッフに言われたというのに納得。
多国籍な人間と言葉が交錯するアンサンブルが自然。

「海を駆ける」 公式ホームページ

「海を駆ける」 - 映画.com

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6月10日(日)のつぶやき

2018年06月11日 | Weblog

日本映画専門チャンネル 是枝裕和×想田和弘 ドキュメンタリーを考える

2018年06月10日 | 映画
通常の対談とはかなり体裁が違って、だだっ広い倉庫の四つのテーマごとに設定された四か所に白いパネルを立てて前に机と椅子二脚を置き、そこで二人が対談するのをカメラの後ろにスタッフがいるという雰囲気を消すようにかなり離れた場所から、あるいは極端な広角レンズを使ったりして突き離すような調子で撮っている。
画作りでいうと何だか実相寺昭雄みたいと思ったくらい(演出にモルモット吉田とクレジットされていた)。

今回この企画に連動して放映されるテレビマンユニオンで制作された是枝監督のドキュメンタリーは放映枠を提供したフジテレビが全権を持つのではなく、基本的に窓口として関わるいったやり方でかなり制作者の権利を認めたものになっているのが今の時代とおよそ違うといった話が出る。

テレビ局が全権利を押さえてドキュメンタリーの実作者が下働き化すると、権利のないところには責任感も生まれないので無責任化するしモチベーションも下がる、といった発言をしていたが、これ映像作品作りの現場に限った話ではないだろう。

お金を出した側が権利を総ざらえするのではなく、作り手の働きに対する対価としてお金が払われるという当然のことが行われる現場の方が、モチベーションも上がるし結局作品的にはもちろん金銭的な成果も出るということになる。

それにしても、話は飛ぶがことカネを出した側に出された側は盲従しなくてはいけないとするような「万引き家族」の制作に文化庁助成金が使われたことに対する批判というかいちゃもんは、労働に対する対価としてお金を貰うとする当然のことがこの国では金を貰う側に根強いというかなり暗然とした状況を映し出す。

考えてみると、私も文化庁の助成金の申請書を書いたことがあるが、色々調べてどういう文化的価値があるか縷々綴っただけで別に忖度する必要もなかったし、反体制的といえばいえる内容だったけれど無事に下りた。文化庁は基本普通に仕事していて、あれだけ突出して騒ぐのはどうかと思う。

6月9日(土)のつぶやき その2

2018年06月10日 | Weblog

6月9日(土)のつぶやき その1

2018年06月10日 | Weblog

「君の名前で僕を呼んで」

2018年06月09日 | Weblog
同性愛者の恋愛を異性間のそれと同じところと違うところをない交ぜて描くことは今や珍しくなくなった。

正直わからないところが当然あるのだが、映画全体の感覚として丸呑みしている。

風景美、音楽を含めた音響の美しさ。
ルカ・グァダニーノ監督は「サスペリア」のリメイクを担当したそうだけれど、オリジナルとはまったく違う美的世界を作っていそう。

「君の名前で僕を呼んで」 公式ホームページ

「君の名前で僕を呼んで」 - 映画.com

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