prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

11月24日(土)のつぶやき その1

2018年11月25日 | Weblog

「生きてるだけで、愛。」

2018年11月24日 | 映画
ヒロインが鬱と言われているだけでなくて映画自体も鬱で、正直始まって十数分は途中で出るのではないかと思ったくらい。

単に鬱と言ってしまっていいのか精神科医ではないので診断できるわけもないが、異様にひとつことに執着して他のことができないのは発達障害みたいで(流行りコトバを当てはめてはいけないのだが)、とにかくかなりの偏りを持っているのは確かで、しかしヒロインだけでなくヒロインを一つ部屋に住まわせて肉体関係ひとつ持たない男・菅田将暉も相当に変わっているし、さらに男に横恋慕して割り込んでくる女・仲里依紗も惚れているなら男を直接口説けばよさそうなものを、男の部屋から出ていかせようという理屈はあるにせよむしろヒロインの自立支援に力を入れるというのもおかしな話。

ヒロインがバイトする店のオーナー夫婦も「いい人」には違いないのだが、人のおかしなところに勝手な診断や対処法を割り振る無神経さというのがやはりひっかかる。

おかしいと言えばまともな記事よりうちの雑誌は下半身で売っていると公言して憚らない編集長も本来だったら十分おかしい。
要するに全員いくらかづつ歪みを抱えている。

誰も彼もおかしいとか、おかしいと見える方がまともといった図式にさすがにはまるわけではなくて、やはりヒロインはおかしい中でもはた迷惑におかしいわけで、安直な共感はできない。
他の人間を逆にたじろがせるような、喉に刺さって取れないような異物としての存在を十分な強度で表現した主演の趣里とはどんなプロフィールの人かと思ったら、水谷豊と伊藤蘭の一人娘というのにびっくり。

「生きてるだけで、愛。」 -公式ホームページ

「生きてるだけで、愛。」 - 映画.com

11月23日(金)のつぶやき その2

2018年11月24日 | Weblog

11月23日(金)のつぶやき その1

2018年11月24日 | Weblog

「アウト&アウト」

2018年11月23日 | 映画
このところコミカルだったり優しいお父さんだったりと強面のマスクを逆用するような役どころが多かった遠藤憲一が主演で、今回は強面のヤクザ上がりの探偵役というのが興味。

もっとハードなアクションばりばりかと思ったらアクションは凄みを利かせながら一瞬で決める作りで、分量はあまり多くない。

一枚看板の主演というわけではなく、主役ではあっても周囲のキャラクターを支えて立たせるMCみたいな感じが強い。
岩井拳士朗の役など、こちらからドラマを組み立てても成立しそう。

オープニングであまり表に出ない裏方のスタッフで物故した人たちに捧げる字幕が出るのが珍しい。

探偵自身が容疑者として巻き込まれる冒頭の展開といい、いかにもハードボイルドで、スタイリッシュな画や説明的な描写を切り捨てた語り口が魅力。ときどき説明しなさ過ぎでよくわからなくなることはあるが。

なぜか(これもはっきり説明しない)8歳の女の子が事務所に半ば住んでいて丁寧な口の利き方で接するのが変わった味付けになっている。

プロレスラーの中西学が出演、スーツが弾け飛びそうなガタイとやたらでかい声でセリフを言うのがなんだか可笑しい。

「アウト&アウト」 - 公式ホームページ

「アウト&アウト」 - 映画.com


11月22日(木)のつぶやき その2

2018年11月23日 | Weblog

11月22日(木)のつぶやき その1

2018年11月23日 | Weblog

「愛の渇き」

2018年11月22日 | 映画
浅丘ルリ子のいかにもな映画女優っぽさが三島由紀夫の作り物っぽい世界に似合う。

のちに三島原作では「鹿鳴館」でも主演したわけだが、いかにも三島好みの仕立てられた作り物っぽいメロドラマをこなしている。

蔵原惟繕監督がキャリア10年目で日活を退社する直前の作品。

間宮義雄撮影による白黒映像が見事でパートカラーの使い方もいかにもだが効果的。

「愛の渇き」- 映画.com

11月21日(水)のつぶやき

2018年11月22日 | Weblog

「スモーク」

2018年11月21日 | 映画
原作脚本ポール・オースター、監督ウェイン・ワンのコラボレーションは単に
小説の映画化というより、小説と映画のマリアージュを狙ったかと思わせる。

効率よく話を進めるというより話の語りに応じてさまざまな人々のありようの色合いが変わって見えるのを味わう。
セリフの多くは俳優の即興だというが、紙の上の人物が立体化したというより紙の上ですでに立体化している感じ。

冒頭でタバコの煙の測り方をハーヴェイ・カイテルが講釈するシーンがそれ自体魅入ってしまうよう上に、おそらく煙みたいに儚く曖昧に見えるものでもきちんとつかまえる方法はある、なんでもないような市井の人々もきちんとつかまえる方法はあるし(それがこの映画自体)、つかまえられたらそれ自体が何か打つものとなる。

終盤のカイテルがやはり長台詞で語るシーンが実にいいのだけれど、内容がエンドタイトルのバックで白黒映像で展開されるのが余韻を残す。

街のタバコ屋という設定自体が今では成立しにくいのではないかと思わせ、実際姉妹編の「ブルー・イン・ザ・フェイス」では店がなくなりそうになるという設定らしい。

「スモーク」 - 映画.com

11月20日(火)のつぶやき

2018年11月21日 | Weblog

「スマホを落としただけなのに」

2018年11月20日 | 映画
スマホを落として誰か知らない人間に拾われて中のデータを悪用されたらどうしよう、とはスマホを使っている人間ならまあ心配したことあるだろうから、うまいところを突いたな、と思う。

しかしそこから後のディテールがどうも甘い。セキュリティが暗証番号だけで指紋や顔認証なしというのはまあいいとして、あれだけ変な出来事が身近に起きたらまずスマホから抜かれたデータを悪用されているのを疑わないかな。
第一、警察でもタクシー会社でもなく見ず知らずの名乗りもしないスマホの拾得者から直接電話がきたところで警戒すべきところではないか。勝手に拾って持って歩いているところですでに怪しい。

北川景子の過去に何か事情があるらしいことは最初の方から振っているのだけれど、その真相というのがややこしすぎ長すぎてうまく嵌まらずとってつけたみたい。
ITに強い若い方の刑事の過去と犯人の過去がだぶってくるあたりの趣向もなくもがな。

あまり意味なく回想になる、というか時制がバックするのも説明的というのか説明としてもかえってわかりにくい。普通にセリフに落とし込むかカットバックしてみせればいいだけではないか。
犯人の正体がわかってからのサイコっぷりも型にはまったキャハハハ演技で鬱陶しい。

せっかくクライマックスの背景の設定が××地というのでヒッチコックになるかと期待させるも、あまり道具立てを生かさずショボいアクションで終わる。

「スマホを落としただけなのに」 公式ホームページ

「スマホを落としただけなのに」 - 映画.com

11月19日(月)のつぶやき

2018年11月20日 | Weblog

「テッド2」

2018年11月19日 | 映画
冒頭でバズビー・バークリー調のミュージカル・シーンをCGと実際の人間とを混ぜて再現。作り手の映画マニアぶりをうかがわせる。

今回はテッドが結婚して子供ができるかという話になるのかと思ったら、法律的にはテッドはモノですという判断が下されてしまい、なんとか法律的に認めさせようとするのがお話の上のクライマックスになるのだが、身も蓋もなく言うとテッドはCGキャラクターであってモノですらない。

実際にあった裁判をもとにしているらしいけれど、アメリカ式訴訟社会というかなんとでも理屈を通さないといけないのが強引に話を作っている感じで、前作同様の「フラッシュ・ゴードン」のサム・ジョーンズ特出は二度目となると鮮度は落ちる。あちらのオタクの祭典の描写が割と面白い。

テッド2 - 映画.com

11月18日(日)のつぶやき その2

2018年11月19日 | Weblog