prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

1月25日(金)のつぶやき その1

2019年01月26日 | Weblog

「哀しみの街かど」

2019年01月25日 | 映画
この映画の公開前の古い映画雑誌を見ると「期待の新人アル・パキノ」なんて表記されている。
解説の町山智浩氏はアル・パシーノと発音していたが、「狼たちの午後」「ボビー・ディアフィールド」あたりまではパシーノだったのだったのだね。それらを見た学生の頃の癖が残っているのだろう。

キティ・ウィンはこの1971年作でカンヌ映画祭女優賞を受賞、2006年のプレミア誌が選んだ史上最高の演技100のうち76位にランクされている。
ところが「エクソシスト」「エクソシスト2」の後、ぷっつりと出演作が途絶えてしまう。舞台で活動していたというが、まったく映画に出ていないというのも不思議。

冒頭のウィンのアップにだけピントが合って周囲の人物がボケている映像だけで一発で孤立感が出る。その後も随所にそういった監督シャッツバーグのカメラマン出身としての目が感じられる撮り方をしている。

いかにもリアルなオーバードーズの場面だけでなく、ドラッグをやって何にもしないでぼけっとしているだけみたいな二人の(だけでなく周囲の役者全員の)リアリズム演技がすごい。



1月24日(木)のつぶやき

2019年01月25日 | Weblog

1月23日(水)のつぶやき

2019年01月24日 | Weblog

「蜘蛛の巣を払う女」

2019年01月23日 | 映画
これまでのシリーズ作品に比べてアクションやサスペンスシーンが増量していて、かなり一般的な娯楽映画に作りが近い。
アクションが雪と氷に閉ざされた土地の特性を生かした工夫をこらしているのも魅力。

カーアクションが一段落済んだ後、ほとんど雪の白一色の画面にぽつんと赤いコートを着た敵役のリスベットの双子カミラの妹の姿が現れる流れが見事。

そこからやはりモノトーンの中にリスベットの帽子やカートなどにちょっとだけ赤を配する(つまりそれがリスベットの中のカミラを表現している)色彩設計や、横移動撮影の使い方、落下のモチーフをドラマの随所に置くなどフェデ・アルバレス監督は「ドント・ブリーズ」でも見せた優れたヴィジュアルセンスを今回も発揮している。

代わりに複雑なストーリーを追うのはかなりはしょっていて敵役の掘り下げをしている余裕はなくなった感はある。

本筋とは関係ないが、自動運転車が普及したとして、それがハッキングされたら困るだろうなあと思った。

「蜘蛛の巣を払う女」 - 公式ホームページ

「蜘蛛の巣を払う女」 - 映画.com

1月22日(火)のつぶやき その2

2019年01月23日 | Weblog

1月22日(火)のつぶやき その1

2019年01月23日 | Weblog

「クリード 炎の宿敵」

2019年01月22日 | 映画
この前日譚である「ロッキー4」は公開当時はリング上の米ソ決戦なんて見ていられるかと劇場ではパスしてビデオで見た。

今になるとわかりにくくなっているが、当時のレーガン大統領はソ連に対し強行姿勢を見せ、(皮肉にも、というか、だからこそというか、そのレーガン政権のもとで冷戦は終結したわけだが)それに便乗してプロレスでは米ソ決戦と称してカナダ人にイワン・コロフとかニキタ・コロフといったロシア風だが短くてわかりやすいリングネームをつけてロシア人に仕立てて、これをサージェント(軍曹)・スローターといった愛国レスラーが迎え撃つというひどいギミックの試合が人気を集めていたし(こういう風土からおそらくトランプも出てきた)、ソ連を安直なカリカチュアライズした敵役にした映画もやたら流行っていた。
荻昌弘の表現を借りると「この娯楽の作りようは、基本がおとな気ありません」となる。

それがぐるっと30年を経て感動的なドラマになって帰ってくるのだから世の中わからない

「ロッキー」第一作が出た時、あまりにもロッキー=スタローンがイメージとして一体化しているので何十年もかけて追うサーガができるといいと誰かが言っていたが、なんとそれが実現した感。
「クリード」一作目で世代交代のドラマとして出発したわけだが、この分だと冗談でなく三代目のドラマにまで行きそう。

このシリーズは、一作目のロッキーのラッキーパンチが入る瞬間、ファイナルのこむら返りのなど試合の流れの決め手になる瞬間にすぐれたアイデアを見せて、ただの頑張り比べを超えることが何度もあったが、今回の試合の決着のアイデアはロッキーができなかったことをドラゴがやれた、ある意味ドラゴがロッキーを違う意味で超えた瞬間として特筆もの。
クライマックスで泣かされたのはむしろドラゴ父子の方なくらい。

ブリジット・ニールセンの使い方もなるほどと膝を叩かせる。

「クリード 炎の宿敵」 - 公式ホームページ

「クリード 炎の宿敵」 - 映画.com

1月21日(月)のつぶやき その2

2019年01月22日 | Weblog

1月21日(月)のつぶやき その1

2019年01月22日 | Weblog

「不都合な真実2 放置された地球」

2019年01月21日 | 映画
クライマックスをパリ会議に置いて世界各国の合意がなされた喜びの風景のあと、トランプ政権のアメリカが離脱した字幕でひっくり返し、それでもアル・ゴアの意思を継いだ大勢が続くという流れ。
公開時の日本でのゴアのインタビュー記事ではともかく、映画では会議での日本の影は薄い。

前作でアル・ゴアの売名だとか温暖化などしていないとか批判されたのに対し、反論するよりむしろゴアの個人的な信念と行動に密着する。

インドが発展のためには温暖化対策に協力するわけにはいかないと反対するのに対してどう合意に持ち込むかに元は一応つくが政治家ゴアの顔を見せる。

環境がすでに政治的イシューになっている現在(それは間違いなくひとつの「進歩」ではある)、環境対策の倫理的な意義を訴えるだけでなくプラグマティックな駆け引きの対象になっているのがうかがえる。その実態にまでは踏み込んでいないが、いずれそういう面を描く報道や作品が出てくるだろう。



1月20日(日)のつぶやき その2

2019年01月21日 | Weblog

1月20日(日)のつぶやき その1

2019年01月21日 | Weblog

「クボ 二本の弦の秘密」

2019年01月20日 | 映画
「犬ヶ島」にしてもそうだが、なんでこのところの人形アニメは日本を舞台にしたがるのだろう。日本というと三次元でもアニメの国ということだろうか。

今さら日本イメージが変と言っても始まらないので、もとより人形アニメという段階で大幅なデフォルメは入ってくる。悪役のかぶっている帽子が朝鮮の両班がかぶるカツ(갓)みたいなのは気になった。

人形アニメといっても大幅にCGも併用しているので仕上がりはなめらかになっているが、きれいすぎてCGと見分けがつかないような感じもある。




1月19日(土)のつぶやき その2

2019年01月20日 | Weblog