prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

1月19日(土)のつぶやき その1

2019年01月20日 | Weblog

「喜望峰の風に乗せて」

2019年01月19日 | 映画
冒険航海ものみたいな邦題(原題はThe Mercy=慈悲、情け)と宣伝デザインからはちょっと想像もつかないストーリー。

ハンサムで人当たりがいいので誰からも好かれるが有能とはいいにくい男が当人の調子のよさと周りに乗せられたのとで経験もないのにヨットの無寄港航海レースに参加するが、海ではもちろん誰も助けてくれずあっという間に挫折し、しかし今更戻ることもできず無線でウソの航海記録を陸の家族や新聞社や後援会とやりとりしながら大海原をうろうろし続けるという話。
だから実際はちっとも喜望峰をまわっていない。

海を舞台にした「カプリコン1」の実話版みたいな感じもある。
GPSのない時代ならではで、今だったらこんな誤魔化しは当然通用しないが、同じ時期に月に人類が降り立つというニュースがちらっと流れたりして、実はアポロは月に行っていないといった陰謀論もあったのを思い出させる。

海で帰るに帰れずひたすらレースが終わってほとぼりが過ぎるのを待つが状況はどんどん悪くなる追い込まれ方と、普通の遭難ものとは違っておよそ前向きにはなりようのない後悔にさいなまされる絶望感が漲る。

海の真ん中に投げ出されている生理的な実感の出し方、ヨットの軋みが細かく入っている音響効果が秀逸。

「喜望峰の風に乗せて」 - 公式ホームページ

「喜望峰の風に乗せて」 - 映画.com

1月18日(金)のつぶやき その2

2019年01月19日 | Weblog

1月18日(金)のつぶやき その1

2019年01月19日 | Weblog

「じゃりン子チエ」

2019年01月18日 | 映画
前に見た時は特に高畑勲監督という意識はなしで見て普通に原作に割と忠実なアニメくらいにしか思わなかった。
それからいくつもの高畑勲作品を見て、特に「かぐや姫の物語」にほとんど呆れかえるというか恐れ入ってから見るて、もうとんでもなく手がかかっているのがわかってくる。
氷川竜介氏による解説つきで見たことも大きい。

声の出演を関西勢で埋め尽くすというのもいかに漫才ブーム(というのがあった)に便乗したようで、単純にリアリズムと言ってしまうのでは足りない表現を突き詰める姿勢が見える。

今の大阪、ずいぶんこういう人間味たっぷりな雰囲気から悪い意味で変わっているように傍からは見える。

この頃の小学生女子はブルマーだったのね。



1月17日(木)のつぶやき その2

2019年01月18日 | Weblog

1月17日(木)のつぶやき その1

2019年01月18日 | Weblog

「それだけが、僕の世界」

2019年01月17日 | 映画
発達障害で通常の社会生活は送れないが耳で聞いただけのピアノ曲を誰にも教わらないで再現できる弟と、暴力をふるう父のせいで母が出ていき中学を出てから一人で生きてきた兄。母がもっぱら弟だけに愛情を注いでいるような不公平を感じて兄が拗ねる図というのは、長幼は逆だが「エデンの東」あたりにも通じる。
ベタなのを恐れないベタぶりで、クライマックスで演奏されるのがチャイコフスキーのピアノ協奏曲というのも、ど直球。

イ・ビョンホンがむさい髭を生やしてビラ配りで小遣い稼ぎをしている冴えない顔を見せ、格闘技のシーンでもプロとしてやってきたであろう鍛えたところは見せる一方で抑えが効かず暴走してしまう未熟さもきっちり見せる。
弟役のパク・ジョンミンが表情は緩いまま手先は驚くべき器用さでピアノの盤面を走り回るのを見せるなりきりぶり。

金持ちとそうでない者たちとの生活の贅沢さとのコントラストをきっちり見せ、かといって一面的に金持ちを悪く描いていない。

とにかく救いがたく最低なのは家族に暴力をふるっていた今は刑務所にいる父親で、このクズをビョンホンが罵倒するあたりが、愛情物語の面とは別にぐっとくる。

「それだけが、僕の世界」 - 公式ホームページ

「それだけが、僕の世界」 - 映画.com

1月16日(水)のつぶやき その2

2019年01月17日 | Weblog

1月16日(水)のつぶやき その1

2019年01月17日 | Weblog

「シュガー・ラッシュ オンライン」

2019年01月16日 | 映画
ゲームセンターの旧式のゲーム機にインターネットが接続され中のゲームのキャラクターが外の世界に出てびっくり、というあたり、オンラインゲームが当たり前になっている現在との落差をまざまざと感じさせる。

ネットの世界にさまざまな企業のロゴが見えるが、楽天みたいにそのままの名前で出てくるのとbuzzfeedならぬbuzzfoodになっていたりと少し違うのと混ざっている。この映画自体の広告効果に対する宣伝費の多寡による違いだろうか。

ゲーム機のハンドルが壊れたので使い物にならなくなりゲームの中のキャラクターが居所がなくなるのでハンドルをebayで買って交換すればいいという具合にストーリーが展開して、そうなると当然ハンドルが手に入るかどうかがストーリーのひとつの肝になるわけだけれど、そのあたりがかなり唐突かつ曖昧にどこかに行ってしまい、途中から出てきたウイルスの感染の話になってしまう。
ディズニーアニメとすると構成がかなりルーズ。

カーチェイスを一作目のゲーム内のそれのようなお菓子の世界でやるのとは別に外の荒涼とした世界ですごく本格的にやっているわけだが、それなら実写(といっても最近はデジタル技術のサポートを当然受けるわけだが)でやった方が効果的でないかと思えた。

ディズニープリンセスたちが勢ぞろいして「母親がいない」なんて評論家の分析を自分で言ったりしているメタ構造をしれっと取り入れている。いつものコスチュームからラフな普段着に着替えたプリンセスたちというのも珍景だけれど、「スター・ウォーズ」のキャラクターが出てくるあたり、「グレムリン2」とまではいかないまでも楽屋落ちに作者の方が先に喜んでいるみたい。
ディズニーにもSWにもそこまでの愛着がない人間からすると鼻白む。

よく見ると、主役ふたりとも少し歯並びに凸凹や隙間があって、絵に描いたみたいなつるつるした欠点のない容姿ではないように手をかけている。

「シュガー・ラッシュ オンライン」 - 公式ホームページ

「シュガー・ラッシュ オンライン」 - 映画.com

1月15日(火)のつぶやき その2

2019年01月16日 | Weblog

1月15日(火)のつぶやき その1

2019年01月16日 | Weblog

「アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング」

2019年01月15日 | 映画
ぽっちゃりした女の子が頭を打ったら自分の目には理想の体型(つまりモデル体型)になったように見えるようになり、いっぺんに自信に満ち満ちた態度になって仕事も恋も万事上手くいくようになるコメディ。これがホントの「ありのままに」です。
押しつけがましくなくポジティブで、ファッション界の大物含めて嫌なキャラクターを出さないのがいい。

主演のエイミー・シューマー自身が堂々とぽっちゃり体形で主演していること自体がテーマを実現している感。逆にモデルたちの方がなんだかメイクからして病的に見えてくる(そう見えるようなメイクにしているとも言える)。
ミスなんとかが出来レースというのをあたりまえのように描いている。

イメージカットにでもやせた姿を見せない、全部演技で表現しているのがまことに達者。アメリカ版ひとりツッコミ芸です。

撮影がミヒャエル・バルハウスの息子のフロリアン・バルハウス。ファッション界のお洒落な色彩とチャイナタウンの地下室などのくすんだ色彩のコントラスト。

「アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング」 - 公式ホームページ

「アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング」 - 映画.com

1月14日(月)のつぶやき

2019年01月15日 | Weblog