prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

1月8日(火)のつぶやき その2

2019年01月09日 | Weblog

1月8日(火)のつぶやき その1

2019年01月09日 | Weblog

「バース・オブ・ネイション」

2019年01月08日 | 映画
映画の父ことD.W.グリフィスがカットバック、ロングショットとアップの切り替えなど基本的な映画文法を開拓した映画史上の最重要作にして、KKKを英雄扱いしたのみならずその再生のきっかけを作ってしまった人種差別映画でもあるという複雑な「国民の創生」と同じ原題を持つ野心作。

監督脚本主演のネイト・パーカーが大学時代のレイプ疑惑で売り出しにブレーキがかかるといった映画の外の話題が先行しすぎている感はある。

キリスト教の宣教師という立場で神の愛を説くという図がどこか違和感を与える。少なくとも、アメリカ黒人にとってはキリスト教は奴隷として連れてこられた大陸で押し付けられた宗教ではないかと思ってしまう。
「ルーツ」ではアフリカではイスラムを信仰していたのを描いていたし、マルコムXはアメリカで押し付けられた一切のアイデンティティを拒否して本来の姓はわからないからXと名乗り、イスラムに帰依したわけだが、ここでは時代的な限界はあるにせよも、そこまでの徹底はしていない。

クライマックスの蜂起がアンチクライマックスに終わらざるを得ず、その後のリンチで絞首された黒人たちが何十人もぶらぶら木から吊るされてゆらゆら揺れている光景にビリー・ホリディの「奇妙な果実」がかぶさるシーンに怒りが漲る。

「ルーツ」のリメイクにはさまざまなアップデートが組み込まれていたが、その一つにこの映画の主人公のナット・ターナーの蜂起の噂におびえた白人たちが黒人たちは人を殺して食べているなどというデマを流している場面があった。




1月7日(月)のつぶやき

2019年01月08日 | Weblog

「デ・パルマ」

2019年01月07日 | 映画
コロンビア大学在学中に徴兵逃れのため同性愛で共産主義者を装って精神異常を主張したというからカウンターカルチャー時代よりちょっと前の時代色が出ている(デ・パルマは1940年生まれだから、ベビーブーム=団塊よりちょっと年上)。

サラ・ローレンス大学の後輩の後輩ウィリアム・フィンレーやジェニファー・ソルトを起用したり、南カリフォルニア大学つながりのルーカス、スピルバーグとの交友など、大学からみの人脈を役立てていることが多いのがわかる。

「悪魔のシスター」でバーナード・ハーマンに音楽を依頼する前に彼の「サイコ」などの曲をつけておいた版を見せたら「曲が聞こえないぞ」とかんかんになった。武満徹の「無音のラッシュを見ると私の耳にはたくさんの音が聞こえてきます、必要なのはその音を再現するのではなく削っていくことなのです」といった発言に通じるか。

「キャリー」のラストがジョン・ブアマンの「脱出」をヒントにしているというのは、やはりと思った。
スプリットスクリーンはもっと多かったのをカットした、違和感を持つ人が多いからだというが、実際クライマックスのプロムをぶち壊すところで画面が割れるのはアクションが盛り上がるのに水をさした感じはした。
「キャリー」のリメイクや舞台版で「私が回避した地雷を踏んでまわっているのを見るのはいい気分だ」というのは意地悪。

「スカーフェイス」は公開当時はオリジナルの「暗黒街の顔役」と比較されて不評だったが、ヒップホップで人気になり、サントラのヒップホップ版まで出るまでになり、さらにゲームでも人気が出て今では独自の評価と人気を得ている。

成人映画のスターだったアネット・ヘブンを「ボディ・ダブル」で使った時の周囲のあたらさまな差別意識というのが気になった。日本にも階級意識はあるだろうが、成人映画と一般映画の垣根は割と低いのではないか。

女性を撮るのも追いかけるのも好きというあたり、まあスケベ。

けっこう劇場未公開作が多い。大作の一方でプライベートな小品も作っていた、というより大作でもプライベートな要素は多いのだろう。

我々の時代は脚本と監督との関係は運命共同体だったがとデヴィッド・コープが降ろされたり別のところで復帰したりと、脚本家の扱いがぞんざいになってきた、かといって監督の力が強くなったわけでもなく、「スカーフェイス」とシドニー・ルメットが監督した「プリンス・オブ・シティ」の監督はそれぞれ逆に予定されていたというあたりのスタジオの判断のいい加減さを語っていることになるだろう。

特殊効果は便利だけれど、大量の陳腐な映像を生み出すことにもつながると語る。ホントその通り。

映画監督の仕事というのは、自分のミスを記録するのと一緒だというラスト近くのデ・パルマの言葉が印象的。



1月6日(日)のつぶやき その2

2019年01月07日 | Weblog

1月6日(日)のつぶやき その1

2019年01月07日 | Weblog

「マザー!」

2019年01月06日 | 映画
初めのうち、登場人物が四人しかいないし、家の中ばかりだし、ハビエル・バルデム、エド・ハリス、ミシェル・ファイファーといった知名度実力を兼ね備えた役者が揃っているしで、舞台劇みたいな調子でいくのかと思ったら中盤からの展開のあまりのとんでもなさに仰天する。

DVD特典のメイキングを見ると、舞台になる家は実際に劇中で存在しているのと同じような野山に実物大で作られたロケセットとスタジオに建てられたセットとを併用しているのがわかる。背景に実際の自然が写るリアリティと空間の広がりと豊かさと、後半特殊効果を多用するのとを両立される都合だろう。

何か、妊婦が子供を産むにあたってこの世界に人ひとり送り出していいのかどうか、世界の混乱と悪い予兆にひとりで対峙して色々思って抱く妄想を映像化している感あり。
ジェニファー・ローレンスの肉体的な存在感がぴったり。




1月5日(土)のつぶやき その2

2019年01月06日 | Weblog

1月5日(土)のつぶやき その1

2019年01月06日 | Weblog

「パディントン」

2019年01月05日 | 映画
先に見た二作目が素晴らしかったのだのだけれど、この一作目もとてもいい。CG技術的にすごく高度なことをしている一方でキャラクターのモフモフ感だけでなく異物との軋轢とそれを乗り越えることというドラマの基本がきっちりしている。

舞台になるブラウン一家の屋敷がらせん状に四階くらいまでやたら高く伸びていて、壁に描かれた木が本物の木と同様に葉が散ったりまた新しく芽吹いたりする表現がしゃれている。

壁に向かって真正面を向いたアングルから横移動して壁を通り抜けたりするカメラワークでセットをモデルハウスのように見せるのと、本当のモデルハウスに寄ると中の人が動いていていつの間にか本当の家になっているといった錯覚を巧みに織り交ぜている。

二作目ではあまり描かれなかったブラウン一家のキャラクターの描きこみとどうやってパディントンが一家の一員になったか描かれているので後から見たことでパズルのピースがあてはまったようで気持ち良い。

「パディントン」 - 公式ホームページ

「パディントン」 - 映画.com


1月4日(金)のつぶやき

2019年01月05日 | Weblog

「ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー」

2019年01月04日 | 映画
映画人で監督や俳優のドキュメンタリーは多いが、まったくの裏方、ストーリーボードアーチストやリサーチャーを扱ったのは初めてだろう。

夫のハロルド・マイケルソンがセシル・B・デミルの「十戒」の時代からヒッチコックの「鳥」、「卒業」などのニューシネマ、さらにはスピルバーグのドリームワークスにまで参加する半世紀以上にわたる実に多彩な作品にストーリーボードを提供していた。

正直、監督のものとされてきたイメージが実はその前からストーリーボードとして描かれていたのがわかる。デミルとは会ったこともないという立場から、ドリームワークスの「シュレック」ではハロルドとリリアンという名前は王と王妃の名前として採用されるまでになる。

第二次世界大戦で爆撃機に乗り込んでいた経験があり、どんな気分かと聞かれて説明のしようがないと語る。口説く時に日本の皇后になるといいというのは誉め言葉か知らないが、戦勝国の人間でないと出てこない表現だろう。

のちに結婚するリリアンは孤児院の出で、典型的ジューイッシュ・マザーであるハロルドの母に結婚に大反対されて絶対幸せになってやると誓う。このあたり映画のバックステージものをはみ出た興味も湧く。
読書家で孤児院でもハインラインを8年から読んでいるという。

結婚して妊娠したらあたりまえのように解雇され、今の時代はそんなことないでしょうけれどとさらっと言うが、なんの、問題はまだ形を変えて残ってます。
二人の間に生まれた子供が自閉症で、フロイト式精神分析をする医者に母親の愛情が足りないせいだと最近の日本の親学みたいなことを言われ傷つき怒ったリリアンが敢然と医者から手を切ると一緒にかかっていた母親たちも離れたという。

ハリウッド離婚が多いのは、ロケで長期間分かれ分かれになっていることが多いからだ、というのは説得力あり。

リリアンがリサーチャーとして整備したライブラリーがあちこち転々しながら結局保全されているのは毎度のことながらあちらのモノモチの良さに感心する。というか、土台の哲学が違う感じ。
宗教と宇宙が並ぶという独自の整理法を編み出したというが、受け継がれているのだろうか。
AFIのライブラリーで働いていた頃、デヴィッド・リンチが頻繁に来たという。。
嘘をつく業界だから正確さにこだわると語る。

トランボと仕事した時は腰が悪くてバスタブでタイプライターを打つトランボの隣の洋式便器に座って仕事したという。

ふたりの人生を絵解きする画が全編にわたって使われているので、てっきりハロルドが描いているのかと思ったら、長期間にわたって取材したらしく、思いがけない展開を見せるひっかけに結果としてなった。




1月3日(木)のつぶやき その2

2019年01月04日 | Weblog

1月3日(木)のつぶやき その1

2019年01月04日 | Weblog