prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「SHADOW 影武者」

2019年09月14日 | 映画
影武者ものはタイトルがほぼ同じ黒澤明の「影武者」をはじめ、「デビルス・ダブル」「デイヴ」などいろいろあるが、だいたい役者の一人二役を合成し同じ顔で性格が違うのを演じ分けるのを見せる作りなのが定番だが、これくらい同じ役者(ダン・チャオ)がやっていてまるで別人に見えるというのは珍しい。別の役者がやっているとしか思えず、キャスト表その他を見ても二役らしい。

影武者といっても王の影武者ではなく、重臣の影武者で、しかも負傷した重臣の代わりに領土争いの相手でもある剣客と戦わなくてならず特訓を受けるのだから、何重ものプレッシャーを受ける。

奥方や側室との微妙な三角関係というのも影武者ものの定番だが、ここでは妻役のスン・リーとチャオが実生活の夫婦ということと、監督のチャン・イーモウが女性描写が得意(実生活でもスケベ)なこともあってかなり描き込んである。

チャン・イーモウといったらデビュー作の「紅いコーリャン」以来極彩色がトレードマークみたいな監督だけれど、ここでは主人公が「影」ということもあって思い切り墨絵風のモノトーンで統一し、肌や血の色だけが浮き立つ色彩処理をしている。デジタル処理でないとムリだろう。
ただ本当のモノクロだと無限の色彩を想像できるのだが、なまじ少し色をつけた分、ずうっと続くと単調に感じる。

雨の中、傘をさまざまに応用した奇想の戦いぶりが見もの。

横暴な権力者を否定してはいるのだが、およそカタルシスには乏しい。だいたいイーモウ作品の、特に時代ものはそういうの多い。



9月13日のつぶやき

2019年09月14日 | Weblog

「ヒンディー・ミディアム」

2019年09月13日 | 映画
カースト制というか貧富の差を背景にしたインド版お受験ドラマだが、主人公夫婦が基本的に中産階級に見えるが夫が英語が話せず妻が話せる差であったりといった細かい設定のニュアンスはわからないが、貧乏人の側に設定したらすっきりする代わりに一種の安直さは出てきかねなかったのをもっと上の(おそらく)中産階級にして、貧困層向けに私立校に設けられた特別枠を狙って貧乏人の生活を送るという見ようによっては失礼なドラマにしてさまざまな社会層を横断して描いている。

これまた通常だったら娘をもっとフューチャーして(十分可愛いのだし)親子愛を打ち出して泣かせそうなところも抑え気味にしている。
民間の商売人には逆らっていいが、役人には逆らうなと妻が隣人に釘をささけるあたりも細かい。



9月12日のつぶやき

2019年09月13日 | Weblog

「トールキン 旅のはじまり」

2019年09月12日 | 映画
トールキンの「指輪物語」をはじめとするホビットたちの冒険譚のキャラクター設定や基本的な物語を観客がある程度知っているという前提で作られているので、予備知識ゼロでこれだけいきなり見たらどう見えるのか疑問。

イギリスのオックスブリッジのいい意味でのエリートたちの振る舞いが魅力的に描けている。それはおそらく二度の大戦で失われていったものでもあるだろう。

トールキン自身が第一次大戦に従軍したのが描かれているが、息子も第二次大戦に従軍したはずで、その間に「指輪物語」が書かれているわけで戦争に対する想いが輻輳して反映しているように思う。




9月11日のつぶやき

2019年09月12日 | Weblog

「引っ越し大名!」

2019年09月11日 | 映画
国替えに対する費用を節約するために一種の断捨離の工夫の数々が一応の見せ場になる。
最近の松竹時代劇は斬り合いを見せるより経済的な観点からのドラマを見せることが「武士の家計簿」あたりから増えている感があるが、一方でまったくチャンバラがないのも寂しいという感じで一応斬り合いが入っているが、そこに持っていくのが結構強引。

あれだけ幕府側が無理筋(というか、男色を断られた恨みというのは矮小に過ぎないか)で国替えで藩を疲弊させるばかりか陰謀をめぐらして取り潰しを図っている、その結果として斬り合いまで至ったのだから、本来だったら幕府がはっきり敵にならなければ済まないところ。
そこを外してどう経費を抑えて幕府に押し付けられた国替えをつつがなくやり遂げるかという話に終始するのは、いかにも今風に大きな状況から目をそむけて小さな目標の達成で済ませて満足してしまう作りで、その場のカタルシスはあるけれど後で考えてみるとなんだか納得できなくなってくる。

高畑充希の袴姿がスポーティで魅力的。縁側に走りこんで勢い余ってツーっと滑る姿とか、星野源と向かい合って挨拶するのに星野の方が先に三つ指つくのが可笑しい。

ピエール瀧が断りも何もなくしれっと登場。別にそれでいい。
エンドタイトルでアート引っ越しセンターの人が監修と出るのがなんだか可笑しかった。




9月10日のつぶやき

2019年09月11日 | Weblog

「二宮金次郎」

2019年09月10日 | Weblog
二宮金次郎というと薪をしょって山道を歩きながら本を読んだとか、小学校に像があるとか、子供向け偉人伝の人だとかいうだけでなく何百もの農村の財政を立て直したという業績のあることは知っていたが、具体的にどんな風に立て直したのかはよく知らなかったのを教わる。
後でウィキペディアを見たら一応有名なエピソードは押さえてあるみたい。

金次郎が子供の時に夜に本を読んでいると油だってタダではないのだと叔父に怒られて、では自分で油を調達しますと菜種油用に植えた菜の畑を世話している(これも実伝)と、武士の身分をかさに着た豊田正作という子供が威張り散らしたいためだけに畑を踏みにじったのを金次郎が怒ってつかみかかり、それを根に持った豊田が後に成長して(成田浬が演じる)上役として赴任した時にねちねちと嫌がらせすることになる。

小作人も働き次第では本百姓になれるようにしてやる気を引き出す、ほっとかれている土地を開墾して作物を植えるといった金次郎の合理的な立て直し策を豊田はことごとくホゴにして、怠け者でただ豊田の手下になっただけの奴に補助金をばらまくというあたり、もろに現代日本の政策とだぶる。
結局、自分が損するのも意に介さないのも一緒。

そのあたり、金次郎が昔の修身の教科書に取り上げられた政治的文脈とはむしろ逆。

ドラマとするとこの理不尽をどう撃退をするか、豊田の鼻をあかすかに期待するわけだが、金次郎役の合田雅吏が水戸黄門で格さんをしていたわけでもあるまいが、榎木孝明の殿様があらかじめすべて承知していて豊田の讒言をあっさり却け、謹慎を申しつける。だったら最初からこんな奴をこんな役職につけるなよと思わないでもない。
その間金次郎は何をしていたかというと、成田山にこもって断食の行をしているのですね。行そのものは実際に金次郎がやったことらしいが、いささか肩透かしをくった。

もっとも豊田を仇役としてやっつけて終わりではなく、もっと大きな円に敵も包み込むという金次郎の思想の片鱗が語られるがいかんせん映像でそういう観念を説得的に描くのは難しく、抹香臭くてどうもピンとこない。

榎木孝明は特別出演だけでなく製作協力としてもクレジットされている。五十嵐匠監督の2010年作「半次郎」に企画・主演した縁もあるのか、この人が出演するので製作できたという面もあるのか。

撮影、照明、美術、衣装など、どの程度の予算なのか知らないがしっかりした仕事ぶり。
金次郎の家の板戸に太々とした文字が書かれているのが印象的。掛け軸を使わないのが質素な生活を印象づけ、文字の立派さが金次郎の教養を思わせる。

大手の有名企業が目立つ製作委員会方式と違うのか、失礼ながら知らない会社組織が名を連ねる。
クラウドファンディングも使われたとのこと。


9月9日のつぶやき

2019年09月10日 | Weblog

「ライオン・キング」

2019年09月09日 | Weblog
同じディズニーの「ジャングル・ブック」のメイキングで、動物たちのCGを文字通り骨格から筋肉からいちいち作ってかぶせたり張り付けたりする解剖学的な綿密さで作っていくのを見て一驚したが、今回のCGは一段とリアルになっていて知らないで見たらほとんど確実に本物の動物をどうやってか動かして撮ったと思うのではないか。

撮影が「ナチュラル」「ライトスタッフ」「グース」などの斜め逆光気味の光の処理が印象的なことが多い名手キャレブ・デシャネルで、実際あれらと共通する画調を作っているのだが、どこからが実景でどこからがCGなのか、およそわからない。

一方でミュージカル仕立てなので動物たちが歌うのだが、その口の動きがおそらく実際には不可能なくらい自由に動いて発音に合っているというのも何か変。

変といったらオリジナルの絵のアニメからしてそうなのだが、「サークル・オブ・ライフ」とかいってすべての動物は同等で調和をなしているとでもいったエコなこと言ってる一方でライオンが王様として動物たちを治めているっておかしくないか。
さらにライオンはとうぜん肉食で動物を殺して食べなくてはいけないのを、残虐なシーンは描いてはいけないディズニールールに従い強引にも外して虫を食べることにしてある。虫だって生き物だと思うけれどね。
エコとエリート主義と残酷排除と各方面に気を配った結果、世界観がおよそ矛盾だらけ。

先王のライオンの声を演じているのがアニメ版と同じジェームズ・アール・ジョーンズ。25年ぶりで御年88歳。ダース・ベイダーの声で有名。たしかガンの告知を受けて舞台の仕事はしなくなったと聞いた気がするけれど、なお仕事を続けているのはうれしい。




8月9日のつぶやき

2019年09月09日 | Weblog

「劇場版 Free! Road to the World 夢」

2019年09月08日 | 映画

時間がぽかっと開いてしまったので見る予定はなかったのを見てみた。
先日たいへん痛ましい出来事があった、技術レベルには定評のある京都アニメーションの作品(自分は忠実な観客だったわけではないが)ということもある。

で、これはかなり不思議な体験になった。
まず、いちげんの客としては元になっている世界観におよそ馴染みがなく、 細かい人間関係や設定がわからないのはもちろんだが、イケメン揃いのキャラクターたちが現実の思春期の男が集まったら必ず匂わせるであろう生臭さみっともなさを生理的にも感情的にもまったく出さず、ひたすら仲間たちと素晴らしい関係を結べているのを寿いでいるのがずうっと続くのに、ほとんど呆然とした。

何か現在進行形のまま思い出のアルバムを綴っているように思え、通常のドラマ作りにある次のフェーズに進むということがあるようでない。

エンドタイトルが終わってからもまた改めて次の話がかなり長くくっつくという構成からして、終わりが来ることを宙吊りにし続けるみたい。

アニメの作画技術的に優れているのはわかるが特にどうこうは言えず、むしろ世界観の構築と持続に人気があるのか。



「ブルー・ダイヤモンド」

2019年09月07日 | 映画
キアヌ・リーヴスにはときどき(というか、かなりしばしば)何で出たのかわからないような主演作があるけれど、これもそう。

予告編からは「ジョン・ウィック」シリーズに類するキアヌのアクションものかと思ったら、なんとアクションは予告編に出てくるのがほぼすべて。

キアヌはロシアのヤバい連中と高価なブルー・ダイヤモンドの取引をしているのだが、調達相手が突然失踪してしまってブツを調達できなくなり、金をもう用意してある相手に脅され二日以内に見つけて持ってくると約束する。

当然、急いでダイヤのありかを発見すべく奔走するのかと思うと、のんきに酒場で呑んでいるうち近くの酔っ払い二人組が高歌放吟しているのを注意したらケンカになりかけ、なんとか酔っ払いたちが出て行ったら酒場を切り盛りしている(一応)美人のアナ・ウラルにあいつら勘定を払わず出て行ったと言われてその分も払う。外に出たら酔っ払いたちが案の定襲ってくるので当然返り討ちにするのかと思うとやられてしまうのにアレ?となる。

で、そのアナの家に運ばれて介抱されるあたりからだらだらしたロマンスが展開することになるのだが、ダイヤはどうしたかというと調達相手が投宿していた部屋を探したら勝手に見つかってしまうという安直さ。

その後、はっきりしない話が続いて、キアヌが恰好いいところを見せそうなのに見せないという意図がよくわからない展開になる。
ベッドシーンがぶつ切れ気味に挿入されるのも興を削ぎ、やっとおしまいになってドンパチになるが、これもなんだかすっきりしない。

「プリティ・イン・ピンク」などで一世を風靡したこともあるモリー・リングウォルドの名がタイトルに出てくるのだが、どの役なのかよくわからない。ギャビーという役名だが、ホテルのフロントかなあ。






9月6日のつぶやき

2019年09月07日 | Weblog