prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷」

2021年07月12日 | 映画
呪怨関係なくなってきたなあ。
舞台もアメリカだし白塗りの女や男の子もさほど出てこない。
日本発の店がサム・ライミのチェーンのひとつに買収されて組み込まれた感。

日本式の家の湿っぽいたたずまいもないし、もとの突然世界が禍々しく変貌するといった怖がらせ方でも、アメリカ製式の物理的な怖がらせ方をするでもなく中途半端。




「ゴジラvsコング」

2021年07月11日 | 映画
年少な出演者が多いもので、子供向けにシフトした頃の怪獣映画の感触がある。
天才ハッカーなんて思わせておいてHTMLタグを使っているなんていうのが微妙にレトロ。
小学生の時に読んでわくわくした地球空洞説の地底世界を堂々と映像化したのも大げさに言えば郷愁をそそる。

クライマックスも近いのに、ゴジラとコングがあんなに離れた地点にいてどうするのだろうかと思っていると一気に縮める手に笑ってしまうが感心もした。
小栗旬の白目って何だろうと思ったらああいうのね。

昔はもっぱら怪獣が暴れるのは日本だったが、コングが出たせいも大きいだろうが、ずいぶんと日本の影が薄れている。
コングが巨大なトマホークを振り回しているのが微妙な擬人化に役立っている。




「アナ ANNA」

2021年07月10日 | 映画
またですか、と言いたくなるリュック·ベッソン製の女殺し屋もの。
ときどき時制が巻き戻る話法が凝ってはいるけれど、その分長ったらしくもなった。

ヒロインのサッシャ・ルス がロシア出身なら、敵役もロシア。
アクションものでのロシアの出番また増えてきたなあ、と思う。冷戦時代とは同じようでもあり、本物のロシア人使えるのが一味違うともいえる。

至近距離での半ば刃物を振り回す感覚の銃撃戦ではサッシャの長い手脚が映えてはいるけれど、ちょっと長過ぎ。
時代劇で何十人もの敵をぶった斬ってるみたい。銃でそれはちょっとムリがある。
話の上でもタイムリミット設けているのだから、それ破っていいのかと思う。




「アジアの天使」

2021年07月09日 | 映画
兄オダギリジョーの無責任なちゃらんぽらんぶりが可笑しい。
弟池松壮亮が惚れた売れない歌手チェ・ヒソに仕事は何だと聞かれて小説家だと答え、じゃあ貧乏ねと言われるのに笑ってしまう。

日本人は少人数で韓国に乗り込んで撮ったこの映画の製作の試み自体が果敢でありながらそう大仰に思わせない。
右も左もわからない、言葉も通じない国の人間を、日本から見た型にはまったイメージから離れて描けているのは、遅れていると言われながらやはり日本もずいぶん変わったと思わせる。

オダギリジョーがちゃらんぽらんなままで日韓友好という大文字の言葉を使うのが、大仰で形式的な友好をからかっている感じで、情けないながらも国籍とは別に少なくとも喧嘩腰を収めて飯を食う関係になるのが一種の成果となる、そのささやかさが地に足をつけた感じ。

兵役でテコンドーを仕込まれているから韓国人の男とは絶対喧嘩するな、という格言?を絵に描いたようなシーンあり。

韓国語がまったく話せないので、英語がリンク·ランゲージになるわけだが、
池内のものすごくたどたどしい英語がご愛敬。

天使の造形は実はトラボルタの前例があるのだが、韓国がキリスト教国だということをオダギリの住居が教会と同じ建物なあたりから示しているのが周到。




7月8日のおもしろ画像

2021年07月08日 | Weblog


「漁港の肉子ちゃん」

2021年07月07日 | 映画
肉子ちゃんが名前の通りアニメの美少女キャラとは対極にあるキャラが、体型といい喋り方といい新鮮。

大竹しのぶの方言演技が声優のそれとは違う感じでさすがに上手いもの。
明石家さんまがプロデュースというのとどんな関係あるのか。

オープニングの肉子ちゃんの来し方を綴るくだりがアニメならではの省略の仕方を使っている割に内容が通常のアニメとは違うのが目新しい。
アニメも色々なものが出てきているなと改めて思う。




「下女」

2021年07月06日 | 映画
「パラサイト」みたいに持てる者は上で持たざる者は下という配置ではなくて、下女や子供たちが新しく作られた二階にいることが多い。
社会的立場と空間的な位置が一致せず、むしろ逆にしてある。

タイトルバックで男の子(なんと子役時代のアン⋅ソンギ)と女の子がずうっとあや取りをしているのが、これからさまざまに変貌して見せるさまざまな人間模様を象徴する。
本筋が始まると、あや取りの糸を引き取る形で織物工場で大量の糸が織られている映像につながり、さらに一家の妻が内職で裁縫をしている姿へと展開する。

上と下の対照だけでなく、頻繁に同じ階の部屋から部屋へと横移動撮影でつなぎ、また部屋を隔てるのは様式ながら襖や障子式の横に滑らせる方式の扉という具合に、空間造形がすこぶる意識的に構成されている。

展開とすると、この夫は警察に届けもしないで女の言うなりになっている割に女をびしびしひっぱたくという、どうして?と思うところがずいぶんある。

ジョセフ·ロージー✕ハロルド·ピンターの「召使」式の階級が性関係を媒介に逆転するドラマには違いないのだけれど、あそこで多用された鏡像の、その鏡の向こう側の世界のような空間や人間関係が初めから反対になっているような感じがあった。
と思ったらホントにそういうラストを迎えたのにびっくり。

「パラサイト」同様に豪雨が印象的。

ピアノを持つというのは、1960年の韓国とするとかつての日本でのそれ同様にブルジョア生活のシンボルと考えていいのだろう。
家を新築するのではなく増築するのは、「パラサイト」でみたように韓国は土地がないせいだろうか。

夫が自らライスカレーを作る(はっきりライスカレーと発音している)というのは、男尊女卑の儒教社会の韓国では珍しいのかな、日本経由のライスカレーなのかなど色々考えた。




「Arc アーク」

2021年07月05日 | 映画
不老不死の方法が確立されて芳根京子とその夫岡田将人に適用されるが、手落ちがあってというくだりまでは画面自体が現代美術的なソリッドな感触を見せるのだが、後半「船に乗れない人」たちの住む町に移ると一転してひなびた漁村の風景のモノクロ画面になる。

船に乗れない、というのは、ノアの方舟みたいに不老不死に乗れる金持ちに対する積み残される貧乏人のことかと思うと(実際、俺たち貧乏人には不老不死など関係ないと詰め寄るデモ隊が出たりする)そればかりでもないらしい。

漁村にいる小林薫の元漁師というのが積み残されたよりは積極的に船に乗らない、だけでなく最終的に実際にも象徴的な意味でも船に乗っていく、その両義的な展開。
悪く言うと、不老不死になったらどうしたらいいのかわからず方向性がはっきりしなくなってしまう図ともとれる。
死があるから生に異議があるというのはもう古い、というのは一定の説得力があるのだが、では何が異議があるのかわからないままということになる。

よくわからないのは、不老不死の技術がどうすると無効になるのかという設定。急に発現したりそうでもなかったりする。おかげでラストシーンの人間関係がなかなかつかめなかった。

永久保存された寺島しのぶのパートナーが同性で片翼だけつけている姿。生島治郎の「片翼だけの天使」ですか。これも説明不足。
原作読んでないもので、よくわからないところ多い。

石川慶監督はこれまでの作品と同様にエンドタイトルで最初か最後の位置を占めず、ローリングしていくうちのスタッフの一人に収まっている。どういう主義でそうしているのだろう。

冒頭の芳根京子のダンスパフォーマンスはリメイクの方の「サスペリア」みたい。




「Mr.ノーバディ」

2021年07月04日 | 映画
舐めてた相手が殺人マシーンでしたもの、なのだけれど、最初の殺しに至るまでが結構長い。
極端に短いカットを積み重ねて主人公の単調な生活を綴るわけだが、リアルなようで妙に悪夢的。
声だけの仲間と会話するあたりの描写もデフォルメが入っている。

最初の大暴れで超人的な強さを発揮する一方で相当ケガもする。このあたりのリアルさの配合を足したり引いたり色々変えているのがとにかく強いのとも日常的なのともどっちともとれるキャラクターに仕立てている。
タイトルの由来というわけだろう。

この手の映画だとたいてい特殊部隊とか諜報組織出身という設定なのだが、あまりはっきりさせていない。
いずれにしてもそういうのは口実でありえない大暴れを見せるのが眼目ですからね。

マイケル·アイアンサイドが初め誰だかわからないくらい太って老けて出てきたのにびっくり。
クリストファー·ロイドの使い方はどんなものだと作り手が鼻をうごめかせている感じ。

音楽の使い方が対位法的というのか、「見果てぬ夢」とかスタンダードナンバーがスイートに流れる中で血飛沫あがる銃撃戦が描かれる手が多用されるのが、ブラックユーモア味あり。

ロシアン·マフィアは悪役の定番になっているけれど、黒人のロシア人というのは珍しい。
監督のイリヤ・ナイシュラー自身がロシア出身なのね。前に最初から最後まで
疑似ワンカットの「ハードコア」というのを作っていたが、今回も持続的なカットを好んで使うよう。




「夏への扉 君のいる未来へ」

2021年07月03日 | 映画
日本が実際に70年代からの辿ってきたのとは違う現代史を設定したのが工夫で、三億円犯人が逮捕されていたりする偽史に交えて小渕官房長官(当時)が「平成」という元号を掲げたお馴染みの映像を交えて虚実を混淆している。
その上でコールドスリープやタイムマシンなど実際には存在していないストーリーには欠かせないガジェットを混ぜてくる仕掛け。

60年前から見た未来を設定した原作を今の日本に移す作業で、原作にとっての未来すらも過ぎてしまった現在から見ると微妙に過去になっていて、1995年の場面にパソコンではなくワープロ専用機が置いてあったり、2025年という今から見た近未来でタクシー初乗り料金が450円という微妙に近いとか、受付の女子が二人まったく同じ顔をしているところなども妙に今の現実にかぶるという細かいところは楽しめた。

前段の共同経営者たちの陰謀の巡らせ方とか主人公が敵の前で手の内を明かしてしまう迂闊さとか、細かいところがいちいちひっかかって大丈夫かと思うと、近未来になって藤木直人のロボット演技が絡むとやや調子が出てくる。

ハインラインの原作は叙情性で特に日本で人気があるわけだけど、いかになんでもセンチメンタリズム過剰で、ネコの扱いもいささかくどい。
誰とは言わないが、見ていられないくらいひどい芝居があちこち見られる。この人、こんなにヘタだったっけと思うレベル。

原田泰造の妻が出てくるところで、髪型とか横顔の感じが清原果耶に似ていて混乱するのはどんなものだろうか。髪型くらい変えたらどうか。




「アメリカン·ユートピア」

2021年07月02日 | 映画
まずタイトルでUPOPIAの文字がさかさまに出てくるところに、文字通り「ユートピア」の反語的なニュアンスが出た。
そういうスパイク・リーらしいプロテストの姿勢も見られるけれど、音楽が前面に出るとやはりポジティブな方向に気持ちがいくのが音楽の効能という感じ。

舞台装置が吊り下げられた鎖の中で、そこをすいすい暖簾みたいにくぐり抜けてミュージシャンが出入りするというのも、鎖で直接縛られるよりは一見ソフトに自由を奪っている世界と、その逆の鎖に囲まれているがそれは通り抜けられるのだと言った相反するメッセージがアイロニカルに出た。

楽器はすべてミュージシャンの手持ちで、マイクも持たずにすべて電波でとばしているのがテクノロジーの進歩と、ほとんど人間だけが舞台にいるようなミニマリズムが共存している。




2021年6月に読んだ本

2021年07月01日 | 
読んだ本の数:23
読んだページ数:3452
ナイス数:1

読了日:06月02日 著者:春日 太一





読了日:06月04日 著者:高橋昌一郎





読了日:06月04日 著者:大栗博司





読了日:06月06日 著者:宮崎克





読了日:06月07日 著者:紀田順一郎




 
読了日:06月07日 著者:ハックスリー





読了日:06月09日 著者:竹田 青嗣,西 研





読了日:06月12日 著者:ポール ギャリコ





読了日:06月13日 著者:荒川弘





読了日:06月13日 著者:荒川弘





読了日:06月13日 著者:荒川弘





読了日:06月14日 著者:荒川弘





読了日:06月14日 著者:荒川弘





読了日:06月14日 著者:


 
読了日:06月14日 著者:ちば てつや





読了日:06月14日 著者:ちば てつや





民主主義をあたまからよいものとして奉るのではなく、その始まり(考えようによっては古代ギリシャ以前から)、多くの時期ではむしろ良くないものと見なされていたこと、時代や思想家によって相当な幅があり、それぞれ問題があってその多くは未解決であることを説く。 えてして民主主義を語ると大上段になり熱くなりがちなのを重心を低くして冷静に考え直す契機になる書。
読了日:06月15日 著者:宇野重規





読了日:06月19日 著者:川田 利明





読了日:06月20日 著者:ちばてつや






読日:06月20日 著者:かわぐち かいじ





読了日:06月21日 著者:秋月 りす





読了日:06月23日 著者:阿部 潤





読了日:06月30日 著者:阿部潤