prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「十一人の賊軍」

2024年11月12日 | 映画
戊辰戦争で官軍側が幕府軍(賊軍)を押し気味の中、中立を保っていた新発田 (しばた)藩が幕府軍につくと見せて、処刑を待つばかりの罪人たちを無罪放免と引き換えにするのを約束して時間稼ぎをし、その間に幕府軍から官軍に乗り越える工作をするというわけだが、裏切り・寝返りの連鎖がどうもきちんと観客に<打ち込まれる>ところまでいかず、どうしてそうなったのかよくわからないまま先に進んでしまう。

笠原和夫脚本の「仁義なき戦い」だと、どうしてそうなったかわからないなりにいつの間にか納得させられてしまう(特に3作目「代理戦争」)のだが、描かれていないところで何をしていたのかブランクになっている部分を想像に預ける処理が巧みとは言えると思う。

山田孝之をはじめとした罪人たちに対するに、れっきとした剣術道場の道場主の仲野大賀 といった本来水と油のような立場の連中を集めたわけだが、立場が違い過ぎ、他のメンバーも多彩というよりアンサンブルになってない。

ラスボスというか本来の敵は阿部サダヲの家老なのが途中からわかってくるのだが、村人たちをバタバタ首を刎ねるまでなんでそこまで悪逆な真似をするのか、納得できないまま場面だけ進む。
納得できないといったら、ラストもどうもモヤモヤする。

集団抗争時代劇の血も引いているのははっきりしているけれど、「十三人の刺客」だったら島田新左エ門と鬼頭半兵衛(オリジナルでは片岡千恵蔵と内田良平、リメイクでは役所広司と市村正親)がそれぞれのふたつのチームのリーダーになって、その上で各人それぞれの役割が明確に割り振られたわけだが、この場合どうもチームの体をなしていない。

1927年生まれの戦中派を任じている笠原和夫は「七人の侍」評で、「バラバラなのは浪士団(七人)の方」とし、なぜ飯を食わせるというだけで浪士が集まるのか、「こうした『純情』は私より一世代ほど上の方々の作品の中で縷々拝見する、共通の人間像である」「『純情』に欺罔の匂いを嗅ぐ。不幸である」と書いている。
どうしても不純さと恨みから人間を見てしまうという「不幸」は、笠原作品にそれなりの一貫性を持たせたわけだが、逆に観客は深入りしないできれいごとから見てしまう狡さがあるわけで、そのあたりどうもすれ違い気味。





「リトル・ワンダーズ」

2024年11月11日 | 映画
飾り文字風の字体のタイトルと、伝承風の語り口で、どこか古色がついたような印象がある。実際に16ミリフィルム撮りでそういうカラーを狙ったらしい。

兄弟と年かさの女の子の3人が動力つき自転車でぶっとばしていくオープニングは覆面をしていることもあって子供なりになかなかワイルド。

3人がゲームをやろうとしたらパスワードを入れなければいけないように兄弟の母親に設定されていて、その母親の身体の具合が悪いので代わりに買い物に行ったら最後に残っていた卵を粗暴そうな男にとられてしまい(事実あとで刑務所帰りとわかる)、レシピに必要だから1個でいいからと懇願するが意地悪に拒否され、男のピックアップトラックの荷台にひそかに乗り込んで男のかなりヘンな家族がいる家に行くと、今度はその家族がトラックに乗り込んで、という具合にすごろくみたいに意外な展開がつながっていく。
ヘンな家族がクスリをやっている設定のせいか、魔法がかった描写が注釈なしに出てきたりする。

ワイオミングが舞台なのだが、調べてみたら全米50の州のうち人口は最下位、人口密度もアラスカに次いでビリから2番目。
「狼たちの午後」で外国に高飛びしよう、どこに行きたいとアル・パチーノに相談されたジョン・カザールが「ワイオミング」と真面目な顔で言うのに笑ったが、化外の地って感じもあるのか。

子供が酒を呑む場面も、アメリカ映画でも場面によってはOKなのかな。もっとも、おもちゃとはいえかなり威力のある銃を撃ったりするから、規制はあまり感じない。





「ノーヴィス」

2024年11月10日 | 映画
音のスタッフから監督になるというのは珍しいと思うのだが、撮影監督から監督になるのはそれほど珍しくないのと、これだけ映画における音の比重が大きくなったのを考えると、もっと増えてもいいかもしれない
ウォルター・マーチみたいに画と音の編集両方をやる人もいるわけだし、「ようこそ映画音響の世界へ 」といった映画が独立して作られたりもしているし。

たまたまボート競技を扱った映画として「がんばっていきまっしょい」と続けて見ることになったわけだが、偶然にせよ、あまりに対照的。
あのキラキラした画面に対して終始曇りか雨で、さらにそれに不協和音がかぶさる。
孤立しがちだった主人公がチームプレイの中で友情を育むのと、孤立を通り越して他を突き飛ばすように拒絶するのと、ヒロインのあり方も対照的。

Noviceとは新人、初心者、新米といった意味。主演のイザベル・ファーマンが「エスター」の主演でもあったことを考え合わせると、けっこう意味深。





「パリの灯は遠く」

2024年11月09日 | 映画
タイトルバックの絵(あとでオークションにかけられている)をはじめ、出てくる絵画や家具や調度など、すごく贅沢。
アラン・ドロンの役が美術商だからばかりではなく、ジャンヌ・モローの出番などヴィスコンティかと思うくらい。美術担当は「天井桟敷の人々」のアレクサンドル・トローネル。

考えてみるとジョセフ・ロージーとヴィスコンティは「失われた時を求めて」の映画化を望んで果たせなかった同士でもあった。
後半、画面から贅沢色が消え、ドロンの服装もトレンチコートに中折れ帽といった「サムライ」以来のものになる。

アラン・ドロンについて佐藤忠男は「太陽はひとりぼっち」評で「かぎりなくゼロ、という感じの俳優である」と評したし、「世にも怪奇な物語」の一話「ウィリアム・ウィルソン」ではもろに分身役をやっていた。そのドロンがもうひとりのミスター・クラインなる人物に翻弄される話ということ。




「ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~」

2024年11月08日 | 映画
監督のタマラ・コテフスカは北マケドニア出身で「ハニーランド 永遠の谷」が米アカデミー賞にノミネートされ、日本でもアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺で公開された。

背丈が3.5mある操り人形アマル(アラビア語で希望という意味)にヨーロッパ各地を旅をさせ、その声をパスポートも持っていないシリアの少女が当てるというユニークな方法を採用している。
前に「FLEE フリー」というドキュメンタリーにしてアニメーションという映画があったが、あれは顔バレを防ぐためにアニメにしたので、同じように不自由な立場にある人(たち)を表に出して、さらに国内にいる少女たちと観客とが想像でつながるというわけだろう。

人形は行く先々では歓迎されるが異人でもあり、荒く編まれた格子から操っている人たちの顔も見える。籠の鳥という寓意と、しかし実際に入っている人たちはなろうと思えば自由に身になれるという二重の意味があるように思う。

実物の少女はローマ教皇を知らない。ユダヤ人かと聞き返したりする。キリストはユダヤ人のはずだし、キリストの生前弾圧したのがほかならぬローマだったりする。
ヨーロッパで吹き荒れているイスラム差別もいながらに知っているだろう。



「八犬伝」

2024年11月07日 | 映画
鶴屋南北役の立川談春が奈落で逆さまになって登場すること自体が虚実の逆転を表しているのだろうけれど、「東海道四谷怪談」自体が忠臣蔵の裏返しということがわからなくなっている、どころか四谷怪談も忠臣蔵もどうかすると知らない日本人が増えてきているのではないかな。ここのところ映画にもテレビにもなってないし。

八犬伝となると、もとがバカ長くてNHKで放映されていた人形劇もほとんど散逸しているのだが、それでも辻村ジュサブローによるデザインの人形は強い印象を残した。正直、生身の人間がやっていても八犬士のキャラクターに関しては今回の実写化は負けている。

屋根の上のアクションシーンがかなり力が入った出来なのだが、締めくくりが曖昧。屋根から落ちてどうなったのか、ぽんととんでしまってよくわからない。

山田風太郎の原作がすでに馬琴と北斎のやりとりの実と八犬伝の虚とをよじり合わせた作りだったらしいが、役所広司と内野聖陽の共演はじめ実のパートの方が芝居は見ごたえある。芝居自体が虚ではあるのだが。虚の方は主にVFXの見せ場という感じ。





「がんばっていきまっしょい」

2024年11月06日 | 映画
原作小説は30年前に書かれたものだが、このアニメ版はスマートフォンが出てくることからも一応現代を舞台にしているのだろう。
ただし、喫茶店とかCDショップなどやや古い店を描いて松山の風情を残そうとしている。

監督の櫻木優平の名前が脚本や編集はともかくかなりニッチと思しいデジタル技術の開発?も含めたところにクレジットされていて、この職能は何をしたのだろうと何度も思った。

キャラクターの瞳が昔の少女マンガそこのけにデジタル技術で色違いになっていて、さらに波がキラキラが光っている。正直、「あしたのジョー2」のパラフィン紙を使ったらしい光り方の方が水気があった気がする。
ちょっときれいすぎやしないか、気になったくらい。




「シン・デレラ」

2024年11月05日 | 映画
ゴジラにもウルトラマンにも仮面ライダーにも何かと「シン」が頭にくっつく中でおあつらえ向きに「シン・デレラ」とは出来すぎ。

フェアリー・ゴッドマザーというキャラクターを創作して、これが三つの願いを聞く代わりに魂を売り渡せというよくある類なのだが、これにひとひねりしてあるのがミソ。

シンデレラ物語はもともと残酷ないじめ色が強いからこういうアレンジは予想の範囲内だが、ゴア描写は期待にたがわぬもの。王子さまの金玉をガラスの靴のヒールで潰せばもっとよかった。
シンデレラが一瞥すると次々と舞踏会のドアが閉ざされるあたりなど、まるっきり「キャリー」で、ぬかりなく炎上シーンを交えている。

色調が古いフィルムみたい。





「トラップ」

2024年11月04日 | 映画
女性シンガーの大がかりなライブを父娘が見に来たところで殺人鬼の捕り物が行われるのだけれど、その後一般家庭のコンパクトなスケールに縮小するのはヒッチコックの「知りすぎていた男」が大がかりなオーケストラ演奏シーンで盛り上げたあと小規模な「ケ・セラ・セラ」の歌でまとめたのを思わせる。
もっとも縮めた規模であまり何度も繰り返すもので、映画自体がだんだん間延びしてしぼんだ印象になってしまう。

監督脚本はM・ナイト・シャマランで、ライブを行う女性歌手を実娘のサレカ・シャマランがやっている。父親も毎度ながらヒッチコックばり(にしては出番が多い)に顔を見せる。
シャマランとしてはケレン味が薄い。その分物足りなくもある。

調べてみたらハカセ役がヘイリー・ミルズというのにちょっとびっくり。ずいぶんとお久しぶり。





「テンダーメタルヘッズ」

2024年11月03日 | 映画
インスティトゥト・セルバンテス東京のドキドキ・アニメーションÑ (エニェ)にて鑑賞。アテネフランセのスペイン版といった施設(というのも失礼だが)。
↑を見ればわかる通り、目鼻を思い切り省略してほとんどのっぽらぼうにしたキャラクターデザインが新鮮。

ミケルとファンホという若者ふたりがヘビメタに出会うまでがかなり尺をとっていて、初めから友情を結ぶわけではなく喧嘩から始まったり、未成年なのに酒を売った金でギターとドラムスを買おうとしたら金が足りないとかいったお話の上での回り道の描き込みがいい。
周囲の大人たちがズルかったり偽善的だったり男にだらしなかったりでおよそ頼りにならない。


「ゼンブ・オブ・トーキョー」

2024年11月02日 | 映画
出てくる女の子たちについてまるで知らないで見たのだが、案外顔の見分けがついた。
歳いくつなのかなと思ったら、実年齢で高校生くらい。常識的に考えてそれくらいなのだろうがそれにしても、つるんとして見えた。

大人たちをことさらに対照的に描いていない。歳はくっていても、それほど「大人」ではないせいか。

隅田川や浅草周辺をまわっているルートが主で、インバウンドの外国人を含めて銀座とか東京の「よそ行き」の顔はあまり出てこない。
それが案外と新鮮。




2024年10月に読んだ本

2024年11月01日 | 映画
読んだ本の数:21
読んだページ数:4823
ナイス数:1

読了日:10月02日 著者:安彦 良和




読了日:10月06日 著者:矢口高雄




読了日:10月10日 著者:上脇博之




読了日:10月12日 著者:宇能鴻一郎




読了日:10月13日 著者:田中 淳夫




読了日:10月14日 著者:秋本治




読了日:10月15日 著者:諸富 祥彦




読了日:10月16日 著者:鴻巣 友季子




読了日:10月17日 著者:嵯峨 隆




読了日:10月22日 著者:秋本治




読了日:10月22日 著者:



読了日:10月25日 著者:うめざわ しゅん




読了日:10月25日 著者:うめざわ しゅん




読了日:10月25日 著者:うめざわ しゅん




読了日:10月25日 著者:うめざわ しゅん




読了日:10月25日 著者:うめざわ しゅん




読了日:10月25日 著者:秋本治




読了日:10月26日 著者:我孫子 武丸




読了日:10月27日 著者:久住 昌之,谷口 ジロー




読了日:10月29日 著者:小梅 けいと