マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

「おかあさん チョット・・・」の想い出 パート1

2006年05月09日 | あべの&天王寺
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日曜日に息子の中学時代仲良くしていたお母さまたち
「七人会」のことをブログに書きました。
その夜、ある掲示板に「七人会」に行って来たことを報告して
私がとっても輝いていた時代の想い出話をカキコしました。

そのカキコで思い出して、このエントリでお話してみようと。
私が結婚して、最も輝いていた楽しい時代。
「第二の青春時代」と呼ぶにふさわしい日々のことをお話しますね。

「七人会」のメンバーのひとりに「りんごちゃん」という女性がいます。
息子が幼稚園の年少組の時
私が始めて出会った女性で、今でも彼女とは仲良しです。
りんごちゃんの息子さんとうちの息子はずっと親友だったし
私も彼女と親友の間柄でした。

その彼女を中心として、1989年5月
「おかあさん チョット・・・」という地域新聞を発行しました。
今から17年も前のことになります。

始まりの時のスタッフはたぶん10数人だったと思います。
毎月1回、地域の新聞を発行して
お届けも仲良しの友人たちで手配りしていました。
私たちの住む一部の地域、1万世帯への無料配布です。

この「おかあさん チョット・・・」の新聞は
地域のお店がスポンサーとなって成り立ってきました。
「おかあさん チョット・・・」の新聞はお母さんが作る
お母さんと子どもたちのための生活情報誌でした。

子どもたちの写真や絵画やお習字を載せたり
私たちの町の再発見に努め
郷土歴史家の人にお話をお伺いして、地域の色々な歴史を
紹介していきました。

また地域の素敵な先生の紹介。
「我が家の自慢料理」と題して
一般主婦から手軽で美味しいレシピをシリーズで掲載したり
地域の素敵なお店を紹介したり、内容はとても盛りだくさんでした。

1989年5月の創刊号から数えて「通巻第50号」まで
4年2ヶ月、この新聞に青春を注いで来ました。
10数人のスタッフから始まった活動だったけれど
4年の間にこの新聞を担ってくれるスタッフは40人に増えました。

そして創刊号は1万世帯に無料配布だったのが
第50号では1万7千世帯へ無料配布。
それでも新聞を配れない地域では、町会長さんからの要望で
回覧板で回すという盛況ぶりでした。

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「おかあさん チョット・・・」のスタッフたちで
私たちはいつも楽しい時間を過ごしていました。
先ず取材のために地域の素敵なお店へ食事に行ったり
ワインの試飲会に参加して、美味しいワインを紹介したり
「おかあさん チョットのセミナー」と題して
大阪の著名人をお招きして、講演して頂いたりしました。

第1回の講演には1991年1月お好み焼き・千房の社長
中井正嗣さんに講演していただきました。
中井正嗣さんの熱い人生に心打たれたものでした。

1990年初めには大阪市もまだ無関心だった空ビンの回収。
1991年6月には、私たちはリサイクルの空ビン回収を始めました。
なかなか受け皿が見つからないビン回収ルートも
自分たちで見つけてきました。
近くの公園に朝から集まって、ビンを回収していきました。
どんどん広がるビン回収の輪に、私たちは手拍子で喜びました。

また牛乳パックの回収に努め
最終的には息子の小学校の担任の先生にまで掛け合い
クラスで牛乳パックの回収に取り組んで頂いたりと
その頃の私たちは怖いもの知らずで、突っ走っていきました。

1年毎に「おかあさん チョット・・・」の新聞の反響は大きく
またどんどん地域に密着していきました。

その頃私たちは小学校のPTA活動も忙しく
PTA活動を通しても多くの友人が出来て
新聞に関わってくださるスタッフが増えていきました。

1991年1月から始まったNHKの大河ドラマ「太平記」
その太平記で注目されていた北畠顕家公の等身大の銅像が
私たちの街の神社に建立しました。

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写真と記事は「おかあさん チョット・・・」の
1991年6月号です。
1991年5月19日、当時大河ドラマで
北畠親房役の近藤正臣さんと北畠顕家役の後藤久美子さん
そしてNHKのチーフプロジューサーの高橋康夫さん
(女優・三田佳子さんの夫)等が来られ除幕式が行われました。

そのあと地元のホテルで近藤正臣さんや後藤久美子さんと一緒に
「太平記の夕べ」と題し、ディナーや歓談を楽しみました。
生で見る近藤正臣さんや後藤久美子さんはとても素敵でした。
このイベントの時も私たちスタッフはとても活躍しました。

まだまだ楽しいお話は続きます。
1989年5月から1993年6月までのお話ですので
記憶は途切れ途切れです。

昨日、「おかあさん チョット・・・」のキャプテンだったりんごちゃんに電話して
ここに載せる色々を相談して、思い出そうと努めました。
二人で想い出をたどると、懐かしくて涙がこぼれそうになりました。

どうしてあの時の私たちはあんなにキラキラと輝いていられたのでしょう。
どんなことにも屈せず、前向きに、一生懸命出来たのでしょう。
あんなにもひとつのことに情熱を傾けて、団結して
がんばって来れたのか不思議です。
これが私の「第二の青春時代」です。

少しずつ思い出して、また明日この続きをお話しますね。
明日もきっと「マドンナのナイショ話」を聞いてくださいね。





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