
さてさて今日のエントリは・・・
「おかあさん チョット・・・」の想い出のパート2です。
あの頃の私たちのパワーは凄かったです。
団結力の強さは計り知れないものがありました。
一人では出来ないことが二人だとがんばれて三人だと出来る。
それがこのスタッフは40人でしたから、もう怖いものなどない。
ネットワークの広さには脱帽でした。
今でもこのスタッフに出会うと懐かしさがこみ上げてきます。
昔で言うなら、きっと学生運動をした仲間たち?みたいな・・・。
ひとつの目標に向かって進んで行ったのですから。
私たちの地元に住む有名人にもアポを取ってインタビューして
「おかあさん チョット・・・」の新聞に載せました。
「愛 ラブ あべの」というタイトルでのシリーズものでした。

1993年3月号には故大屋政子さんが登場です。
「うちのおとーちゃん」の名文句で有名だった
元帝人の社長大屋晋三氏の妻。
独特のキャラクターで、時代を駆け抜けていった女性です。
当時こちらでは帝塚山病院、大屋政子バレースクール
関西福祉専門学校を経営されていました。
他にもパリやロンドンにもゴルフ場、ホテル、レストランを経営。
また海外では
VIP扱いの民間外交官として著名な大屋政子さんでした。
大屋政子さんはインタビューの最後にこう語られました。
「きつねうどんを食べるのにね、電話がかかってくるから
朝9時から夕方4時までかかったことがあるのよ。
寝る時間も少ないけど、人間働かなあかん。
体は動かさなあかん思てますねん」

また1993年4月号には
ミュージシャンの桑名正博さんが登場です。
もともとご実家が私たちの校区の人でした。
この地区は市内でも屈指の文教地区。
二人の息子さんたちを地元の学校に通わせたいと
この新聞を始めてすぐの頃、東京から引っ越して来られました。
地元のスーパーマーケットや市場へも
奥様と一緒にお買い物に行かれるような気さくな人柄で
その後、阪神大震災の時には救援物資の搬送や
ボランティア活動に私たち地元をまとめてくれた人です。
桑名さんは
「あべの・大阪・いや関西のために何か一緒にしようや」と言われました。
その時のイキイキとした桑名さんの目が素敵でした。
他にもこの地域でインタビューさせて頂いた有名人には
難波利三さん、林家染三さん、眉村卓さんがいらっしゃいました。
その記事も「おかあさん チョット・・・」には載せてあります。

ここで面白いお話をひとつ。
ツタンカーメンのお墓から出てきたエンドウ豆を
みんなで育てました。
私などあまり出来がよくなかったのに
スタッフの一人がお庭に植えたところ
たった10粒の種が元気に育って3キロも収穫されました。
10粒が5000粒になりました。
このツタンカーメンのお墓から出てきたエンドウ豆は
紫色の可愛らしい花を咲かせ、紫色のサヤを実らせ
豆ご飯を炊くと、ご飯がお赤飯のようにピンク色になりました。
この5000粒のエンドウ豆の種をスタッフや地域の人にも分けて
みんなで古代ツタンカーメンの頃を想い盛り上がりました。
私たちのスタッフの中にはアレンジメントフラワーの先生もいました。
毎月1回、私たちにお花の講習会を開いてくれました。
私たちのスタッフには化粧品販売店を経営されている方もいました。
美容部員さんに来てもらって
「きれいになれるメイクの方法」を講習してくれました。
私たちのスタッフの中には公文の先生もいました。
子供たちがお世話になりました。
他にも色々それぞれが得意分野を披露して
私たちは教わって、いつも向学心に燃えていました。

1992年4月18日、私たちは地元にある
おしゃれなファッションビルを全館貸し切って
「遊・食」をテーマに3周年記念イベントをしました。
もちろん「おかあさん チョット・・・」の3周年記念です。
たくさんのブティックが入っているこのビル。
そのブティックの洋服を着て、私たちは午後のひととき
ファッションショーに出演しました。
出演されないスタッフは必死でビデオ撮影しました。
キラキラと輝いて眩しいくらい。私たちの青春でした。
そしてギャラリーや各店には私たちが日頃習っている
アレンジメントフラワーの作品を並べました。
斬新なファッションビルが「春色」の花で埋まりました。
夕方からはルーレットなどの趣向をこらしたカジノパーティーが行われ
私はそのルーレットで海外ブランドのバックをゲットしました。
この時はゲストに俳優・タレントの越前屋俵太さんをお招きしました。
そして私たちと気さくにお話をしてくださいました。
この日の想い出も忘れることが出来ません。

また1992年5月27日に
「おかあさん チョット・・・」が3周年を迎えたことに
感謝の気持ちをこめて大阪フィルハーモニー会館で
「スイスオルゴールコンサート」を開きました。
当時とてもブームになっていたオルゴールコンサートでした。
それにこの会場は1991年7月に完成したもので(1年前)
交響楽団練習場としては当時は日本一ということでした。
310席のチケットはアッという間に完売しました。
オルゴールのファンだとおっしゃって遠くは三重県名張や
西宮からもお客様が来られました。
百数十年も前の冷蔵庫くらいの大きなアンティークオルゴールから
その時の最高級オルゴールまでの歴史を
スイスオルゴール友の会の会長さんからお話を聞きながら
なごやかな雰囲気の中でオルゴールの音色を楽しみました。
今でも目を閉じて耳を澄ますと
あの時のオルゴールの音色が聴こえてきそうです。

4年間の想い出はあまりにも多過ぎて
ここではほんのわずかしかお話できないのが残念です。
明日、もう一日だけ「おかあさん チョット・・・」の想い出に
お付き合い頂けますか?
明日が最後です。
最後にこれだけはどうしてもお話しておきたいことがあります。
きっと目が点になるでしょう。
私たちの止まることの知らない勢いに腰を抜かすか拍手喝采か。
明日も「マドンナのナイショ話」をお楽しみくださいね。