晴、11度、75%
食器棚の奥から大きなインドネシアのお箸箱が一つ出て来ました。香港のハリウッドロードにあった「ビンセントサム」という家具屋さんで買ったものです。ローズウッドの家具をインドネシややマレーシアで作って売っていました。なんでたったひとつだけ箸箱を買ったのか、もうすっかり忘れています。中のお箸も彫りのあるインドネシアのお箸です。
箸箱を見ていると一つの光景が浮かび上がって来ました。母の実家は高知の土佐市です。祖父母、長男である叔父夫婦、その子供の私にとっては従兄弟たちが住んでいました。年に何度か里帰りする母に連れられて幾度も訪れた母の実家の夕食風景です。
叔父がいちばんの上座、その横が祖父、この二人だけは台所から上がった部屋で箱膳で夕飯を食べました。箱膳には祖父や叔父のそれぞれの食器が一式収まっています。夕飯が終わると、祖父も叔父もお箸をお箸箱に入れ食器と共に箱になおします。箱に入れるその瞬間が目の奥に焼きついています。心の中で、「お箸を洗うのかしら?」と常に思っていました。
私たち女、子供は、土間の台所の大きな作り付けの食台でお箸は箸立てからとって使います。食べ終われば流し場にお箸も持っていきます。大勢で食事をすると親の目が届かないので、食べ残しできるのが嬉しかった子供時分です。何を食べたかも歳の離れた大きな従兄弟たちと何を話したのかも忘れているのに、祖父と叔父のお箸箱の中のお箸が洗われるのか、洗われないのかが気になって仕方がありませんでした。
朝昼は祖父も叔父も大きな食台で皆んなと食事をとります。その時もお箸はお箸箱から出て来ます。もしも洗っていないお箸だったら汚いなあと横目でお箸を見やります。昼下がり暗い土間の台所で叔母が一人、流しのたくさんの洗い物をしている姿が見えました。黙って横に立って見ていると、祖父と叔父の箸箱もお箸も洗われて、それだけは別のところに並べて乾かしてありました。それを見て、とってもホッとした覚えがあります。
1日に1回必ずネジを巻く大きな柱時計、2つ並んだかまどの口、大きな食台。インドネシアのお箸箱からもう50年以上前の土佐の母の実家の台所が蘇りました。
私のお箸箱、また食器棚の奥にしまいました。今度出して来た時は何を思い出すのでしょう。