チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

モモの命日

2024年04月30日 | もも

曇、18度、97%

 昨日は六回目のモモの命日でした。10日前から香港から帰宅している主人はこの日に合わせて戻って来ました。仕事の予定も4月29日を外して組んで戻って来たのだと思います。

 7年前、高齢、短頭種のモモを日本まで連れて来ました。検疫の審査に始り帰国の準備は大変なものでした。そして成田に降り立って、ホッとしたもののたった85日後に逝ってしまいました。香港で生まれて香港で育ったモモです。そばで見ていても香港に帰りたがっていたのが分かりました。どんな気持ちで亡くなったのだろう?主人が戻るのを待っていたように逝きました。主人の胸の中で逝きました。主人に会えたこと、大好きな主人の鼓動の中で逝かせてやれたことだけがモモへの報いです。

 主人が戻って来た7年前の4月28日の夕飯にイチゴを添えました。それまでイチゴはそんなに好きでなかったモモでしたが、主人が手に乗せて差し出すイチゴをよく食べました。その思い出が強いので命日にはイチゴを供えます。主人が大きなイチゴを買って来てくれました。

 前立腺の腫瘍が見つかってその時はすでに排便が困難になっていました。手術をしたものの次第に排尿もできなくなりました。つまり排泄が腫瘍の大きさで不可能になったのです。採尿に毎日病院に通いました。排泄できないのによく食べました。約ひと月、持ちこたえました。最後の数日は肉と肉のスープのみが食事でした。痛みが出ると苦しかったと思います。主人に会えるのをひたすら待ったのだと思います。辛い思いをさせてしまったことを今でも悔いています。

 モモのお下がりのイチゴをモモが逝った時刻に空を見ながら主人とココとで食べました。 イチゴの甘酸っぱさが胸に沁みます。主人のモモへの土産の「フランジパニ」の花が一つ一つ開きます。モモの大好きな花でした。モモへの喪失感は私たち二人にはいまだに大きなものです。そしてそばでそんな私を支えてくれたのがココです。ココがいてくれたからこそ乗り越えられたこの7年です。毎年巡ってくるモモの命日、「モモって私たちにとってなんだったんだろう?」いまだに答えが出ません。

コメント (2)
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