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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

6冊目のパスポート

2016年02月19日 | 日々のこと

曇、15度、83%

 初めてパスポートを手にしたのは45年前のことです。福岡県庁海外渡航課というところに申請に行きました。当時は14歳のまだ子供が海外に行くのは珍しかった頃です。窓口の男性に海外渡航目的などを聞かれ、緊張した記憶があります。一ドルが360円、海外持ち出し上限金額もまだ少なかったと記憶しています。その時のパスポート、実家の整理の時見つけました。もちろん大事にとってあります。

 昨日、香港の日本領事館に新しいパスポートをとりに行きました。10年目の更新です。古いパスポートをしまおうと箱を開けました。息子のパスポートが2冊、私の古いパスポートが3冊、主人のパスポートが10冊。

 手元にある5冊のパスポートの自分の写真を見比べます。一人で大笑い。この4冊、香港と日本の往復、香港からインド、東南アジア、ヨーロッパへの往復に使いました。ヨーロッパはEU圏内での移動ではパスポートの入国の判を押してくれなくなったところもあります。パスポートの判をみる楽しみが減りました。昨年、香港から台北経由で日本に帰る時、福岡空港の閉鎖時間の兼ね合いで、止む終えず私と同じフライトの人は台北に泊まることになりました。この時びっくりしたのが、台湾に入国するのにパスポートコントロールを通らなかったことです。つまり私が台湾に入国した足跡は残っていません。もちろん翌日出国時にもパスポートコントロールはスルーしました。

 一緒に箱から出て来た主人の10冊のパスポート、海外の出張が多い人です、10年のパスポートを作ってページを増刷してもらっても、10年未満で判子を捺す場所が無くなり更新します。主人の10冊のパスポートの重みは、取りも直さず我が家を支えてくれている主人の苦労と重なります。

 いつかゆっくりとパスポートをめくってみようと思います。こんなに長居するとは思わずやって来た香港に来た日、体調を崩した母を思っての帰国、高校から日本に返した息子に会うため、母が亡くなったと知らせを受けて帰国した時、孫が無事産まれるようにと願い乗った飛行機、久しぶりのヨーロッパに胸弾ませたとき、私のパスポートからいろんな思いや記憶が甦って来ると思います。新しいパスポート、また新しい思いや思い出を載せてくれるはずです。そして、この菊の紋章をみる度、日本人であることを思います。

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浅水湾(リパレスベイ) 香港

2016年02月18日 | 香港

小雨、11度、96%

 例年のことですが、香港、2月に急に気温が上がると町中が結露します。道路もじっとりと濡れます。ビルのコンクリートの壁でさえ、結露で濡れます。雨よりも質が悪く、うっかりすると滑ります。お天気が良ければまだ凌げますが、朝からどんよりと曇って、ほんの目の前の隣のビルすら姿が見えない日が続きます。そんな天気の日、香港島の南側、浅水湾に行きました。

 香港島は中央東西にやや高い山があります。南側に行くには、北側から山越えかトンネルを抜けます。香港島の北側がジトジト天気でも、トンネルを抜けると青空が拡がっていることもあるほど、北と南では天気が違います。南は南シナ海に向かって拡がります。香港で一番大きな魚市場があるのも南側、また、英国領時代から欧米人が多く住む高級住宅地もこの南側です。

 作家森瑶子の「浅水湾の月」の浅水湾です。山手には、海を見渡すマンションやロッジが建ち並び、広い砂浜が拡がっています。3月頃から11月頃まで砂浜は泳ぐ人、日光浴の人で賑わいます。この広い砂浜は、実は人工の浜です。人為的に拡げられた砂浜です。ちょうど息子達がこの砂浜でマラソン大会をした頃、埋立てられましたから、かれこれ20数年前のことです。

 トンネルを抜け、海が見え始めると、あれ、海の上まで蒸気が立ち込めて、海面が見えません。 一番手前が砂浜、水際を歩く人たちと山の中間は海です。海にすっぽりと霧が立ち上がっています。

 浅水湾の東の端には、古い廟がありました。海を鎮めるための廟です。その廟のまわりにけばけばしい観音様や広州の守り神5匹の羊の像が建ったのも、ちょうど砂浜が拡げられた時期のことです。 日本の仏像では考えられないような色遣い、アメリカの人がこの廟のことを表して、珍奇なと書いているのを読んだことがあります。確かに摩訶不思議な世界です。 

 一時間ほどもいたでしょうか、少しずつ霧が晴れ始めました。 小さな島々が姿を見せて来ました。それでも、海の向こう霧の中から行き交う船が汽笛を鳴らしているのが聞こえます。私が「汽笛。」と言うと主人が「霧笛。」だよと訂正してくれました。

 見出し写真、どう見ても中国的な色合いのこの廟の海に突き出た見晴らしです。夏ともなれば、ここに独り乗りボートが並びます。

 海と霧、こんな幻想的な姿も香港です。

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おかげさまで、孫娘が2歳を迎えました。

2016年02月17日 | 日々のこと

曇り、12度、76%

 二年前の今日、孫娘が産まれました。予定日をとっくに過ぎています。まだかまだかと気を揉みました。私は予めこの日に帰国する予定でした。昼過ぎ、飛行機に乗ってもまだ産まれたとの知らせはありません。成田に着くなり、主人と息子から無事出産の知らせが入りました。久しぶりにみる雪景色の東京でした。

 この2年間大きな病気もせずに、普通に育ってくれています。昨年は、お嫁さんの職場復帰もあって、保育園に入りました。嫌がるかなと心配でしたが、楽しく通っているようです。園児の中でも一番小さいので、お友達に可愛がってもらっているようです。豆まきの日の鬼の面、 孫娘作。

 昨年は、義父が他界しました。まだ、1歳にならない孫を義父に抱いてもらいました。あの時の義父の笑顔が忘れられません。子供はまわりに笑顔を作ってくれます。離れていますので、昨年は、2度しか会えませんでした。テレビ電話で話すのと実際に会うのでは大違い、12月に会った時には、「かか。」と呼んでくれましたが、またしても「かか。」などお忘れでしょう。

 今年の私からのお誕生日のプレゼントは、クッキーの詰め合わせです。着いて早々、テレビ電話がかかって来ました。蓋を開けて「パグのクッキーがない。」と息子がいいます。 「ほら、渦渦の下に2匹パグを入れといたわよ。」と私。1匹はお嫁さんのご実家の黒パグボブ君。もう1匹は、もちろんモモさんです。

 この一年も、普通に健康にまわりの人に笑顔を作るような子供に育って欲しいと思います。当たり前のことですが、両親も初めての子供、大事に育てています。この孫娘を見守ってくれる周囲の方達に感謝します。

 あと1週間すると、この孫娘一家3人、香港にやって来ます。楽しみです。

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獅子舞 香港

2016年02月16日 | 香港

曇り、11度、70%

 旧正月が明けてそろそろ10日になります。学校も始まりました。中国からの観光客も減って来たように思います。町は通常に戻ったかのようですが、町の何処かで太鼓の音が聞こえます。獅子舞の太鼓です。

 獅子舞の太鼓の音が聞こえても、もうこの時期当たり前ですから見にも行きません。数年前までは、モモさん、この太鼓の音が聞こえると家中を走り回って、興奮していました。実際に獅子に出会ったときなど、歯を剥いて向かって行ったほどでした。ところが、モモさんもこの太鼓の音に慣れたのか、いえ、お歳でしょうか、ずっと寝ています。

 日本でも獅子舞は見られます。長崎のおくんち、唐津のおくんち。九州北部の秋祭りには獅子舞がつきものです。日本の獅子と香港の獅子、顔つきがかなり違います。中華街がある町なら、もちろん旧正月に獅子舞。

 昨日、セントラルのIFCに買い物に出ました。また太鼓の音です。階上から見下ろした獅子舞、なかなか本格的な獅子舞です。香港中に獅子舞をやっているグループは数にしてどの位あるのか知りません。旧正月でなくても、大きなビルの開業、中華レストランの開店にも獅子舞はやって来ます。いつもいつも獅子舞の仕事があるわけではありません。以前、香港のテレビ番組が獅子舞のグループの練習風景を流していました。殆どはプロではなくて、街街の地元の若者のアルバイトのようです。

 昨日見た獅子舞、服装も舞も素人っぽさがありません。流石一流のショッピングモールです。 

 お店一軒一軒を廻りますから、かなりの時間あのうるさい太鼓の音が聞こえます。店に依って、獅子の対応も違います。お店の中まで入れるところもあれば、大事な門口だけで挨拶をする店もあります。久しぶりに珍しい光景を見ました。 店の門口に吊り下げられた縁起物を伸び上がって頂くこの様子です。 旧正月前になると市場にはこうして根付きの野菜を束ねて売っています。来る年の無病息災、商売繁盛を願う縁起物です。家庭でも門口の神様に祀ったり、神棚に吊り下げるそうです。

 黄色い獅子も白い獅子もいますが、やっぱり旧正月は赤い獅子が似合っています。久しぶりに立ち止まって見た獅子舞です。獅子の横に立つ女性、大きな赤い布袋を肩から下げています。店店から心付けが渡されます。大きく膨らんだ袋でした。香港の町、あと数日は何処からともなく太鼓の音が聞こえます。

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イタリアのニジマス

2016年02月15日 | 料理

曇り、13度、60%

 まだ息子が小さい頃、伊豆にキャンプに行きました。宇久須です。海辺のキャンプ場から山に入ります。随分入った辺で釣り糸を垂らしている人たちがいます。ヤマメやニジマスを釣っています。もちろんこの釣りのために、家から釣りの道具持参です。息子と主人が釣りをしている間、私は山の散策。クロユリが自生しているのを見たのもこの時が初めてでした。あの時3人で何匹釣ったかはよく覚えていません。私も糸を垂らしました。その釣ったニジマスをキャンプ場に戻り、主人が塩焼きにしてくれました。小振りなニジマス、あの独特な草っぽい匂いと苦み、今までこんなに美味しいものを食べたことないと思った記憶があります。テツという犬も一緒のキャンプでした。

 先日、珍しく主人と高級な食材店へと買い物に行きました。作取りのお刺身を買おうと思っていたのに、二人して目が留ったのが、イタリアのニジマスです。ここ香港にも日本のニジマスが時折入って来ます。このイタリアのニジマス、日本の物より随分大きめです。全長30センチ、重さも300グラム強あります。さあ、どう料理ましょうか。

 ニジマスのムニエルといえば、バターソースがつきものですが、折角丸のまま求めたので、グリルにする事にしました。ヌルヌルします。匂いが心配でしたが、川魚独特の匂いもありません。お腹の中にディルを詰めて、ミックスハーブとオリーブオイル、アーモンドのダイスをふって、 オーブンに。ムニエルのバターソースに浮かぶアーモンドのスライス、あの香ばしさがアクセントになります。生憎、アーモンドのスライスを切らしていましたので、アーモンドダイスで代用。

 ニジマスの下には、赤ピーマンを敷きました。トロトロの赤ピーマンと柔らかい淡いピンクのニジマスの身、そして、プツッと歯ごたえのあるアーモンド、なんともいいバランスです。一匹300グラムもありますから、食べ応え充分です。草っぽい匂いもありませんが、今ひとつ日本のニジマスの旨味にかけるように思います。大味なニジマスです。フランス料理のムニエルのバターソース、あれはこの旨味のなさを足してくれるものだと気付きます。次回イタリアのニジマスを求めたら、バターでグリルしてみるつもりです。

 昔、火を囲んで外で食べたニジマスの塩焼き、あの味に勝るものはないと思います。あの時、テツにもニジマスを上げたか、忘れています。モモさん、大喜びでイタリアのニジマスを食べました。

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雑誌の編集長

2016年02月14日 | 

ガス、21度、92%

 私達は雑誌で育って来た年代かも知れません。昭和30年代初め産まれ、もうすぐ60歳になろうとしています。日本を離れて30年近く、日本の雑誌が面白くて、帰国する度本屋の店先で片端から立ち読みしていたのは、10年ほど前までのことです。

 雑誌にはその雑誌の代表となる編集長の名前が記載されています。この編集長というものが気になり始めたのが、やはり10年ほど前のことでした。「暮しの手帖」の編集長に松浦弥太郎さんが就任したころです。COW BOOKSという古本屋さんの頃から松浦さんは何処か違う方だと思っていましたから、さすが、「暮しの手帖」はいい人を探し当てたと思いました。予想通り、松浦さんが編集を手がけるようになって、「暮しの手帖」は面白くなりました。売り上げも随分伸びたと聞いています。

 「考える人」、新潮社から出ている雑誌も好きなひとつでした。写真、記事とも、読み応えのある雑誌です。初代の編集長松家仁之さんは、週一回メールマガジンを出していました。確か火曜日だったと思います。そのメールマガジンがこれまた楽しみでした。古今の本一冊に付いて書かれたものでした。松家さんが編集長を辞められて、何処がどう変わったという訳ではないのに、「考える人」を買うのは稀になりました。

 マガジンハウスの「クウネル」、これは2月に一度の刊行ですが、楽しみにしていた頃があります。薄さといい、紙の質といい。創刊から2010年頃までは、岡戸絹枝さんが編集長をなさっていました。雑誌「オリーブ」の最全盛をを作った方です。岡戸さんが編集長の頃の「クウネル」はどの記事も目の前がすっきりとするビジョンがありました。何をどう取り上げるか、明確にそのツボを抑えた雑誌でした。岡戸さんがお辞めになって、全く同じ作りの雑誌なのに手に取らなくなりました。

 先月、「クウネル」がリニューアルすると聞きました。編集長は、「オリーブ」「ギンザ」を経た淀川美代子さんです。期待に胸を弾ませて、先日帰国した時にはまず一番に「クウネル」を買いました。フランスと書けが飛びつく日本女性の心をよくご存知です。ところが酷評を受けています。以前の「クウネル」より大判、50歳以上の女性がターゲット。読めばそのピントがやや外れている感は否めません。

 「考える人」初代編集長の松家さんと「クウネル」の初代編集長の岡戸さん、このおふたりが編集監査をしている雑誌が昨年出ました。「つるとはな」です。 不定期刊。まだ2号までしかでていません。岡戸さんらしい繊細な視線を持っている雑誌です。

 「暮しの手帖」の編集長を松浦さんは昨年お辞めになりました。これからどんな「暮しの手帖」になるのでしょう。「クウネル」も「つるとはな」もまだどんな雑誌と決めることは出来ません。

 雑誌の編集長、テーマを決めたり、原稿の依頼をしたり、雑誌自体の構成を考えたりなさるのでしょうが、その人柄、その人となりが大きく反映されることに気付きました。息の長い雑誌には、揺るがない視点があるように思います。

 

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堅尼地城(ケネディータウン)香港

2016年02月13日 | 香港

ガス、22度、94%

 マカオからフェリーに乗って、香港島に帰って来ます。小さな島を抜けながら、遠くに香港島の島影とともに見えるのが3本の煙突です。この3本の煙突が香港島に戻って来たと教えてくれます。3本の煙突の一帯はさほど高くない古いビルが建て込んでいます。この煙突の前を通り過ぎると、香港島セントラルの超高層のビル群が目映いばかりに目の前に拡がります。今から10数年前までの話です。

 この3本の煙突のある町の名前は、ケネディータウン、もしくは西環。香港島北側の西の端に位置する町です。セントラルから車で20分ほど、町の様子も町の匂いも全く違います。2000年に入る頃からこの町の再開発が始まりました。 その当時、この同じ場所に立つと、2階建てトラムの向こうに見えるのは海でした。埋め立てが進みその上には広い公園、そのまだ海側には自動車専用道路が出来ています。防波堤もなかったあの頃、風の強い日にはトラムは波を受けていました。

 並んで建っていた3本の煙突は、香港島のゴミ処理場の煙突と場の煙突でした。中国から電車で生きた牛や豚が九龍サイドのホンハムまで運ばれて来ます。そこからトラックに乗せられて、このケネディータウンまで連れてこられます。香港島内だけの市場に卸される牛や豚でした。今では中国から入ってすぐの町に近代的な場が出来て、香港中のを行っています。

 ゴミ処理場や場があったこのケネディータウン、どんな天気のいい日でも何か重い空気が流れていたような記憶があります。  場が無くなった今でも、肉を扱っていた組合の看板が町には残っています。

 車で通り過ぎるばかりのこの町、西欧人が道を行くのを見かけます。以前だったら、考えられない光景です。 洒落たレストランも出来ています。 昨年、地下鉄がこの町まで延長されました。場の跡地には、 こんな高層のマンションが出来ていました。ここからの景色、海が前面、ディズニーランドも見えるはずです。

 香港のいろいろな町が近代化するのを見て来ましたが、なんともこのケネディータウンほど様変わりした町はないのではと思います。まだ様変りの途中です。

高層ビルの手前は古い町並みが残っています。 昔から続くおかゆ屋さん。 こんな果物やさんもまだあります。 こんなスタイルの雑貨屋さんはもう見られなくなりました。よく見ると、左上、藤で編まれた枕の上段にねずみ取りが売られています。そうです、昔のケネディータウンはねずみ取りが必要な街でした。まだ、新しい物と古い物が共存しています。 香港島北側側の急斜面、昔ながらの階段とその横にはエレベーターが出来ています。

 こうして少しずつ少しずつ、懐かしい景色が消えて行きました。

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ある日の夕飯

2016年02月12日 | 日々のこと

ガス、17度、98%

 時折、何でこんな組み合わせと思うような夕飯になることがあります。旧正月のお休みが終わった昨日、冷蔵庫を開けてみると、スーモークの魚が2種類、旧正月の前に作った大根餅が手付かずで入っています。スモークの魚は大好きですが、市販の物は塩分が高すぎます。塩分を控えなくてはならない主人のために買わずにいたのに、買って来たのは主人です。

 ニシンとサバのスモークを前にして、さてどうしよう?蒸そうかな?茹でようかな?スモークの旨味を逃がしたくはありません。バットにレモンを浮かべひたひたの水に漬けて冷蔵庫にいれました。途中、2度水を替えます。塩分も抜けるでしょうが、美味しい脂も抜けているようです。

 いつもは、こうしたお魚のスモークにはレモンとケッパーですが、 先日のロシア料理のディルの爽やかさが頭をかすめます。晒タマネギ、ディルを一杯振りかけて、もちろんサワークリームも忘れません。

 今年の大根餅は日本の上新粉で作りました。いつもはタイのお米の粉です。今年の大根餅、柔らかめに出来てしまいました。お米の粉といっても、でんぷんの質やグルテンの具合が違うようです。小さめに切ってしっかりと焼きます。 

 スモークの魚のために、松の実のパンを焼いたのですが、パンではなく大根餅と一緒に頂きました。旧正月前に買い置いたアボガドも食べごろです。なんともちぐはぐな夕飯です。

 スモークのサバもニシンも程よく塩が抜けました。硬くなるかと心配でしたが、脂ののりもいい案配です。サバやニシンのスモークは皮付きのまま売られています。頂く前には皮を外して切ります。スークサーモンだけは身だけのスライスて売っています。スモークサーモンも水で塩抜き出来るか思案中。

 お皿の上は、サバ一匹、ニシン二匹分がのっています。 お塩を抜いたけど、モモさんには上げれませんよ。

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ムクロジの木 枇杷の木 

2016年02月11日 | 日々のこと

曇り、16度、87%

 母が一人で住んでいた頃、日本の家の庭は荒れ放題になっていました。木は大きく徒長し、手入れがされていない原生林のような有様でした。雨樋は落ち葉で痛んでいます。一番厄介なのは、家に陽がささなくなっていました。はっきりいってどう手を付けたらいいか分かりません。そこで、家の改築に当たり造園を専門にしているところに頼みました。大まかな希望は伝えてありますが、どの木をどう残すかはお任せしました。

 私は家の庭にどんな木があったのか正確には覚えていません。くちなしの木や金柑の木はとうの昔に姿を消しています。木が切られ、風通しも陽当たりも良くなった庭を見たときは、すっきりしたことよりも木を切ってしまったことに胸が痛みました。大きな切り株が残っています。そんな庭を見ながら木の名前が分かるのはほんの数本でした。

 昨年12月に帰った時、前庭の一本の木は葉を落として、実を付けています。玄関の前にはその実がこぼれていました。 柿色の蝋のような実です。何の実だろう?庭を掃除しながら見上げます。 それっきり忘れていました。

 先日帰った時も玄関の前にこの実が落ちていました。知らずに踏んでしまったら、中から黒い種が出て来ました。 しゃがんでよく見ます。何かに似ています。何だろう?そうです、羽根突きの羽のしっぽについているあの黒い玉。

 ムクロジというのだそうです。つまりムクロジの木です。ずっとこの木は前庭にありました。秋になると落ち葉が多くて、道も塀の中もムクロジの落ち葉っぱでいっぱいになります。でも、この実を見たことがありませんでした。玄関の前にこの実が落ちてることもありませんでした。玄関前までには他の木が数本ありましたから、飛んで来ることもなかった訳です。木を見上げて思います、木姿もさほど良くないこの木を何故造園の方は残したのか不思議です。

 裏庭には切られるはずだった枇杷の木を残してもらいました。枇杷は寒い最中に地味な花を付けます。二階のデッキから見るともう実を付けていました。この琵琶も大きな木の日陰にあった物ですから、木姿が貧弱です。昨年から思う存分日を浴びています。大きな枇杷の実を付けてくれると思います。

 狭い庭ですが、家を取り巻くように四面に庭があります。一面だけはまだ手を付けていません。そこには梅の木があります。この梅の木は亡くなった母の話では、池の横にあった古い今は枯れてしまった梅の木の実が落ちで大きくなった梅だそうです。つまり実生の梅の木です。白梅の莟が付いていました。小雨が降る中、この白梅に鶯が数羽群れています。いい風情です。もうしばらくすると、花がほころびいい香りを放つはずです。

 切ってしまった木のことを思い胸が痛んだこともありました。ずっとあったのに名前も知らない木に会う事が出来ました。残った木たちとこれからは仲良くして行きたいと思います。木姿が悪いなんて構いません。そこに長いこといてくれただけであり難い。時間を作って、残った木一本一本に、話しかけてやろうと思います。

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香港 IVAN THE KOZAKのロシア料理

2016年02月10日 | 日々のこと

晴れ、15度、48%

 香港島セントラル、ヒルサイドエスカレーターの両脇はSOHOと呼ばれる飲食街です。それもほんのここ15年ほどのこと、以前は普通の住宅街でした。お店の入れ替わりが激しく長続きしません。日本のラーメンや高級天ぷら、フレンチ、イタリアンはもちろん世界中の食べ物が食べれます。最近の流行はレバノン料理のようです。ちょっと目立たない場所にあるロシア料理のIVAN THE KOZAK長く続いているお店のひとつです。旧正月前のある晩、急に主人と行ってみる事にしました。

 ロシア料理というと思い浮かべるのはボルシチやピロシキ。ビーツやサワークリームたっぷりの料理です。ロシアも広い土地、沢山の民族がいるのだから食べ物も私が知るより沢山あるに違いありません。テレビでロシア人の方が、ロシアの名物料理は餃子です、と言ったその一言も忘れられません。餃子らしき物は世界中にあります。

 まずはその餃子、 ペリメニ、というそうです。中が豚肉、サワークリームとディルが手作りの厚めの皮の重たさとマッチしています。餃子にサワークリーム、ディル、こんな発想ありませんでした。

  お次はキノコの壷焼スープかと思えば、 牛タンのクリーム煮です。クリームとチーズです。牛タンの大切りがホロッと溶けるほど柔らかい一品です。

  ニシンのオイル漬け。これは我が家の大好物なのですが、やや塩気が強すぎます。薫製ではありません。半生の状態です。塩分を控えなくてはいけない主人に代わって、私がしっかり食べました。ディル、タマネギ、レモンが口の中を調えてくれます。

 最後にチキンキエフ。 チキンキエフは、鶏の皮の下にハーブバターを入れて揚げるとばかり思っていましたが、鶏の胸肉を薄く切った物にハーブバターを巻いた丁寧な作りのキエフです。 これにもサワークリームのソースが添えられています。

 ワインは東欧の赤ワインでしたが、ワインは今ひとつでした。

 この店の面白い趣向のひとつ、 ウォッカルームです。実は私が一番好きなお酒はウォッカです。でも、ろれつが回らなくなるので、主人に禁止されています。スーッと胸が拡がるようなウォッカ。ストレートではのみませんが、口に含むと馥郁とした香りと甘みが拡がります。 珍しいウォッカが貯蔵されています。 

 セントラルのエスカレータ沿い、市場から少し上がった場所にあります。見出し写真のロシア人人形を目指して行ってみてください。

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