マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

伊勢本街道・相可(おうか)

2021-02-21 | Weblog
「伊勢本街道」は、大和(奈良)と伊勢を結ぶ、
紀伊半島の真ん中を横ぎる東西の道です。
古くから多くの人が行き交った道です。

ここは、多気郡「相可(おうか)」
伊勢本街道と熊野街道との交差点で、また櫛田川(くしだがわ)の港だったそうです。
櫛田川は奈良県と三重県との県境に発し伊勢湾に流れ込んでいる川です。

上流の丹生(にう)は日本最古の辰砂(水銀)の産地でした。
水銀によって莫大な富を蓄える豪商が生まれ、
相可の対岸(中万・ちゅうま、射和・いざわ)には水銀(白粉・おしろい・ファンデーション)長者の屋敷が今も一部残っています。
水銀(辰砂)は縄文時代から赤色塗料として、奈良時代には大仏の金メッキ(金を水銀に溶かして塗金後、水銀を蒸発させた)のために、
室町時代には白粉・おしろいの材料として利用されてきました。
江戸時代に入ると、白粉は輸入が増え、また、鉛を使った白粉が普及し、水銀は主に薬用に利用されたそうです。

相可には宿や商家が立ち並び、水運業でも栄え、大変賑わっていたそうです。
伊勢参りの人たちだけではなく、多くの労働者や商人が行きかっていたのです。
耳をすませば、昔のざわめきが聞こえてくるような気がします。

ここは観光化からまぬがれて幸いです。
(観光化されてしまうと、そのような残照はすっかりかき消されてしまいます。)
途切れることなく、そこで普通に暮らしが営まれ続け、
学校があり、菓子屋があり住宅があります。
荒れはてた廃屋や、家の前の樹木だけがすごい勢いで育っている人の気配のない家もありましたが・・・





それにしても倉が多い。
今は、何が入っているのでしょう?

廃屋になった医院がありました。
屋根の瓦の飾りがとても珍しい!

これも珍しい!かわいい!

街道から少し離れた台地(山を削った?)に、
現在のこの町の役場や公民館や図書館などのゾーンがあり、大きなスーパーがあり、
バイパスなど、大きな道路も整備され、住宅団地が広がっています。
工業団地に企業が誘致されて、巨大な工場や配送センターなどが幾つもあります。
地域がくっきりと分かれています。

夕暮れだったし、寒すぎて!
文字通り走って通り過ぎました。
もう少し暖かくなったら、ゆっくり見て歩きたいです。
名物「まつかさ餅」の店ももう閉まっていて食べられなかったし・・・






コメント
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