綿の種を蒔いて、なかなか芽が出なくて、
ダメかなーと思った頃に芽が出て、
その後もなかなか大きくならない。
でもついにワタの花が咲きました。
とても綺麗!
「オクラ」の花も順番に咲いて、順番に実をつけています。
期待して育てていたのに、
虫にやられて壊滅状態の「タチアオイ」
虫の触手から逃れた花がほんの少しだけ咲きました。
悲しい・・・
偶然にも、アオイ科の花が3種!花の様子がよく似ています。
昔、柳田國男の「木綿以前のこと」を読んだときに、
木綿が庶民の暮らしの中に普及するまで、
日本には「ほこり・埃」が少なかった、ということを知って驚きました。
木綿以前は主に麻。
絹を纏うことができたのは、極々一部の人でした。
小さな木から真っ白いふわふわのワタが穫れることを知ってどんなに驚き喜んだことでしょうか。
そのワタから糸を紡いで布を織り、染める。あるいは染めて織る。
麻などに比べて木綿は鮮やかな色に染まりました。
大変な作業ですが、ある日、自分の着物をそうやってつくり上げた時は心底うれしかったと思います。
綿が育ちにくい東北など寒い地方では特に貴重で、
手に入れることが出来た木綿は、どんなに小さな端切れでも剝ぎ合わせて、
あるいはコギン刺しのように重ねて丈夫にして使ったといいます。
「埃」は今また減ったかもしれません。
布団もクッションも服も合成繊維が主流になり、埃が出にくくなりました。
春に文庫本用の本棚を2台買い、文庫本も整理しました。
その時、柳田國男も何冊かあったのを思い出し、
久しぶりに「木綿以前の事」を読んでみようかと
開けて見ましたが、
紙が黄ばんでいて活字の色も薄くて見にくく、もう私が今読むのは無理みたいで残念。
この文庫は昭和51年発行になっていて、序文は「女と俳諧」について書いています。
そして、木綿、団子、餅、煙草、酒などの日常の具体的なものについての論考を、
「木綿以前の事」と題し、ひとまとめの本にしています。
柳田國男が「木綿以前の事」の文を書いたのは、大正13年(1924年)です。
ところで、家紋に使われる(徳川家の「三つ葉葵」、下鴨神社の「双葉葵」など)のフタバアオイはウマノスズクサ科で
上記のアオイ科の植物とは別です。
京都の家は、下鴨神社の傍にありますが、娘が幼稚園時代、同じクラスに「あおいちゃん」が3人いました。
そして「葵祭」!
しりとりのようにいろいろ思い出されます。
ダメかなーと思った頃に芽が出て、
その後もなかなか大きくならない。
でもついにワタの花が咲きました。
とても綺麗!
「オクラ」の花も順番に咲いて、順番に実をつけています。
期待して育てていたのに、
虫にやられて壊滅状態の「タチアオイ」
虫の触手から逃れた花がほんの少しだけ咲きました。
悲しい・・・
偶然にも、アオイ科の花が3種!花の様子がよく似ています。
昔、柳田國男の「木綿以前のこと」を読んだときに、
木綿が庶民の暮らしの中に普及するまで、
日本には「ほこり・埃」が少なかった、ということを知って驚きました。
木綿以前は主に麻。
絹を纏うことができたのは、極々一部の人でした。
小さな木から真っ白いふわふわのワタが穫れることを知ってどんなに驚き喜んだことでしょうか。
そのワタから糸を紡いで布を織り、染める。あるいは染めて織る。
麻などに比べて木綿は鮮やかな色に染まりました。
大変な作業ですが、ある日、自分の着物をそうやってつくり上げた時は心底うれしかったと思います。
綿が育ちにくい東北など寒い地方では特に貴重で、
手に入れることが出来た木綿は、どんなに小さな端切れでも剝ぎ合わせて、
あるいはコギン刺しのように重ねて丈夫にして使ったといいます。
「埃」は今また減ったかもしれません。
布団もクッションも服も合成繊維が主流になり、埃が出にくくなりました。
春に文庫本用の本棚を2台買い、文庫本も整理しました。
その時、柳田國男も何冊かあったのを思い出し、
久しぶりに「木綿以前の事」を読んでみようかと
開けて見ましたが、
紙が黄ばんでいて活字の色も薄くて見にくく、もう私が今読むのは無理みたいで残念。
この文庫は昭和51年発行になっていて、序文は「女と俳諧」について書いています。
そして、木綿、団子、餅、煙草、酒などの日常の具体的なものについての論考を、
「木綿以前の事」と題し、ひとまとめの本にしています。
柳田國男が「木綿以前の事」の文を書いたのは、大正13年(1924年)です。
ところで、家紋に使われる(徳川家の「三つ葉葵」、下鴨神社の「双葉葵」など)のフタバアオイはウマノスズクサ科で
上記のアオイ科の植物とは別です。
京都の家は、下鴨神社の傍にありますが、娘が幼稚園時代、同じクラスに「あおいちゃん」が3人いました。
そして「葵祭」!
しりとりのようにいろいろ思い出されます。