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2012年 ヨーロッパへの旅 17 ローテンブルグ (その2)

2012-11-20 22:51:32 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月9日 続き

何も知らずにこの地に来たが、丁度お祭りの日、しかも雲一つない快晴、
本当に宝くじに当たったような幸運だった。

雲は一つもないのだが、この雲、フランクフルトからずっと続く飛行機雲。



ドイツの上空は非常にたくさんの飛行機が飛んでいるのだろう。
今までにこのような飛行機雲の多さを見たことはなかった。



そして、ホテルと駅の間から空を見ると・・・・
やはり飛行機雲は続いていた。


さて、ここは一般的に「ローテンブルグ」と呼ばれているが、
正式には"Rothenburg ob der Tauber"
タウパー川の上方にあるローテンブルグという地名で、
ドイツには他にもローテンブルグという地名があるために、
特に区別しているそうだ。

第二次大戦終戦の2日前に、アメリカ空軍のミスで爆撃を受け、
町の4割以上が消失したが、
全世界から再建のための寄付が寄せられ、
アメリカからも多額の再建資金援助が行われ、
町を愛する人々の努力で、見事に今の街並みが甦ったとのこと。

この時の寄付者の名前が、市壁の内側通路に掲示されており、
日本人のお名前も多数見かけた。


本当におとぎの国のようにすばらしい!












夜は町のメイン通り、マルクト広場のすぐ傍のレストランに入った。
名前は忘れた。






おいしいワインを1本とコーヒーも頼んで、これだけ全てで約9,000円。
決して高くはないが、デリシャス!ということもなく、
特に、牛肉のソテーの付け合せ、
ジャガイモに小麦粉を混ぜて蒸したようなマッシュポテトはひどくまずくて、
ただ蒸しただけのジャガイモの方がおいしいのに、
なぜ?と三人で首をかしげた。




我々が店を出る直前、
フランスから何台ものキャンピングカーでやって来たという
一行に話し掛けられ、ブロークンながら楽しいひとときを過ごしたが、
その時「福島に行ったか・・・・」と聞かれ、
やはりフランスの人々にとって、福島の原発事故は
対岸の火事ではないのだと感じた。

フランス人に別れを告げて、
マルクト広場に戻ると、まだお祭りの余韻が漂い、
あちこちで僧侶らしい人達の辻説法が行われていた。
もちろんドイツ語なので、私達には何を言っているか分らなかったが、
何人もの人達がその後をゾロゾロと付いて行くので、興味深かった。

本当に僧侶なのか、あるいはガイドなのか、今もって分らない。




とにかく、ワクワク ウキウキと楽しかった一日が終った。

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