9月5日(木) (クレタ島・イラクリオンからハニアへ)その3
海でとても楽しいひとときを過ごした私達は、
ホテルに戻って一休みし、7時半にレストランに向かったが、
まだ誰もおらず、8時からビュッフェスタイルの夕食だと言われた。
珍しく、このホテルの宿泊にはディナーも付いているということだったが、
どこかの団体客と一緒に食事をするのかと、
がっかりしながら部屋に戻った。
間もなく、部屋に電話が入り、すぐに行くとまた一番乗り。
先程のボーイさんが満面の笑みで
一つ一つの料理の説明をしてくれた。
8時丁度、30~40人の老年の一団が入って来た。
彼等はキプロスからの観光客で、アテネ、クレタ島を1週間で回り、
今夜が最後の晩だという。
2時間半の飛行時間とのことだった。
最初、隣のテーブルの人から「サイプロスを知っているか。」と聞かれ、
首を横に振ると、何人かが「キプロス、キプロス・・・」と言い、気付いた。
我々がまだ若かった頃、キプロスでイギリスからの独立運動が始まり、
ギリシャ軍とトルコ軍の代理戦争のような紛争があり、
確か今も分断されている所だったかな・・・
名前は知っているが、いつも自分の記憶力のなさ、
知識の乏しさに恥ずかしい思いをする。
結局、会話力もなく、知識もないので、
政治の話は出来なかったが、
料理のことは皆さん良く御存知で、
いろいろ説明をして下さり、とても楽しく過ごすことが出来た。
帰国後、ネットで調べて
(キプロス紛争を五行で説明したら)という記事を見つけた。
以下は受け売り。
1 キプロスがイギリスから独立する
2 南部に多い元からの先住民である裕福なギリシャ系が
政治の主導権を握り、北部の後からやって来た
貧しいトルコ系住民との間に
亀裂が発生して、双方の武力衝突を起こすようになる。
3 トルコ共和国がキプロスのトルコ系住民を保護する
という名目で軍事介入し、トルコ系住民の多いキプロスの北部を
キプロスから切り離し一方的に分離独立を宣言する。
4 キプロス政府の要請に基づいてキプロス島の南部に
ギリシャ政府が軍隊を駐留させると、
トルコ共和国も北部の軍隊を増強し、
やがて国境線付近で大規模な武力衝突を繰り返すようになる。
5 こうしてキプロス紛争がギリシャとトルコの紛争に発展し、
ギリシャとトルコそれぞれが
南北に新しいキプロス政府を樹立して、
キプロスは完全に南北に分断された国家となる。
ギリシャの料理やお菓子のことなど、
よく御存知だったのは考えてみれば当然。
彼らの祖先はギリシャ人だったのだ。
思いがけなく、たくさんの方と話が出来、とても楽しいひとときだった。
(おまけに、遅ればせながら、ちょっぴり勉強も出来た。)
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