こんな時代も、あったのね
夫の母(=姑さん)。
素晴らしいひとです。
これは、お世辞でもなんでもなく、戦中派に見られる、頑張り屋さんの典型。
昭和ひとケタ生まれ、わたしの母も、同じ世代。
ありえないほど、健気に気丈に働く。
青春時代をどっぷり戦争色に塗りつぶされ、女学生時代は、けたたましく鳴るサイレンに怯えながら、
空から降り落とされる爆弾の恐怖と闘った。
勉強をする時間もろくすっぽなく、学徒動員で、地方の軍関係の工場で働かされた。
命からがら地方から逃げ帰り、
やっと終戦を迎えたと思いきや、まわりは戦争の爪痕も癒えない焼け野原や、家の惨状。
多くの家は、家族や親戚の何人かを、戦死という哀しいかたちで失う。
そんな状態では、原状復帰が最優先で、
嫁入り前の女性は、専門分野のスキルを身に付けたいという発想など、到底、湧きあがらなかったことだろう。
当時の価値観では、
女子大は、経済的自立のためではなく、結婚のための付加価値プラスアルファ・お飾りみたいなものだった。
国防一色の思春期は、楽しい思い出もなく、学業に力を注ぐ状況もなく、
戦後間もなく、卒業後、お見合い結婚。
嫁いだ家は、時代を逆戻りしたかのような、ほんとうに戦争を挟んでいるの?と疑いたくなるような
タイムカプセルから抜け出てきたかのごとき、時計の針が逆行した、
家父長制がバリバリに活きた、男尊女卑の、前・近代的生活を平然と送る、
超アナクロ、時代錯誤な家風。
川でお洗濯なんて、あらステキ!?
食事するときは、嫁は、下座の、畳一畳大のスペースの板間に座らされたそうだ。
女中を連れて、川へ洗濯に。
うわー、桃太郎の世界。
お金もまったく持たせてもらえない。買い物など、とんでもない。
公休の日に、家に帰れる女中さんが、羨ましかったと嘆く。
その頃、夫(義父)の妹は、婚約者とラブラブ中、嫁(義母)は、義妹の豪華な嫁入り支度をしり目に、
せっせと、義妹の未来のご主人サマのお給仕に勤しんだそうだ。
義母は、旧い門前町の商家の生まれ育ちで、モダンな家風。
義母の母親は、テニスを楽しみ、お茶人でもある父親は、毎朝、コーヒーとパンの朝食を好んでいたそうだ。
義母たち3姉妹は、謡いや日舞、お茶をたしなみ、華やかな子供時代を送っていたようだ。
教養や、たしなみのあるお嬢様だったというわけだ。
それが、一転して、桃太郎生活。
川上から、どんぶらこ、どんぶらこ、と、桃じゃなくて、洗濯機でも流れてきたらよかったのに、ね。
けっこうマインドが頑丈な(鈍感力あり。打たれ強い)わたしが、ひっくりかえってビックリするぐらいだから、
嫁に来たばかりの、いまや絶滅種・お嬢様育ちの義母の驚きたるや、想像するに易い。
食べ物も、生活のひとつひとつも、すべて違う。
魚も、自分に順番が回ってくる頃には、いったい、どこを食べるのだろう・・・と、まじまじと見たとか。
こんなはずじゃなかった・・・と、思ったかどうかは、別として、
まあ、むかしの皆さまは、辛抱強いので、病気になるまで頑張った。
結局、義母は、子供を産んだ後、身体をこわして入院してしまったのだけれど。
そのあたりのいきさつは、わたしにも、ある種、共通するものがある。
倒れるまで頑張ってしまうんですね。わたしも、そうだった。
自分を守る自動防御装置が作動するのが、ちょっと遅いってことだ。
で、平成の時代。
この話、書いていると、延々に続きそうだ。
昔の人の、しかも、他人の苦労話なんか、読んでいる人にはなんの関係もないかも知れない。
まあ、そう仰らずに・・・
時代は、昭和から平成へと年号を変え、時は流れた。
義母は、義父亡き今、好き放題し放題のはずなのに、あいかわらず、超真面目な勤勉生活を送っている。
自分の楽しみよりも、家族や人様に尽くすことが、生きる意義であるかのように、身を粉にして働く。
広い家なので、用事が多くて困る、自分の時間がないと、嘆く。
「だったら、家事や身の回りのことを一切してくれるサービス付きのシニア・マンションに、元気なうちに入って、
自分の時間をまるまる好きなように過ごせば、いかがですか?
そこからジムに通っている人や、趣味のお稽古や旅行に出かける人もいますよ」
と、わたしが提案すると、
「大勢の他人と一緒に生活するのはイヤ」と言う。
「自分の個室が確保されているから、イヤなら自分の部屋で自炊してもいいんだし、
同じ住まいの人に会いたくなければ、自室で過ごすか、外出すればいいんですよ」
そう言っても、ピンときていないようす。
いまの、広い家のなかで、家事や雑事に動きまわり、
来客に追われ対応する、忙しい生活が、お気に入りのようだ。
もう、80を超えているのだから、そんなに働かなくてもいいのだけれど、
昭和ひとケタの血が騒ぐのか、
ダラけた生活を嫌い、時間を惜しんで、精いっぱい身体を動かして働く。
このあたりは、わたしの実母とまったく同じ。
自分のためだけに、何でもモノに手が届く小さな一室で、梅干しとお茶漬けをすする生活なんてしたくないと言う。
が、理想を追求すると、キリがない
「自分の時間がない」という愚痴をクリアーすることと、
大きな家に暮らし、威厳を保ち、自立した、張りのある生活を送ることを、両立するには、かなり困難をきたす。
どんな素晴らしい人であっても、そんなにうまい具合、自分の理想通りの生活なんて、できるはずがない。
現役の大国の大統領が、「平日の9時から5時までだけ、働きたい」と言っているようなもの。
自分の要望を100%満たしてくれる、手足になってくれる、お気に入りの家事サポートの人に、
もっと痒いところに手が届くようにサポートしてもらいながら、
主(あるじ)の地位に留まりたい、ってことだろうけれど。
自分の力が尽きた時は、同時にトップの座から引きずり下ろされるのは、世の常。
義母が、好きなように頑張れるのも、健康な身体と、経済的な支えがあってこそ。
わたしたちは、感謝のかたちを取っているが、そして、実際に感謝しているが、
それは、なに不自由ないように経済的にバックアップしているから出来ること。
それでも、人間には、欲にはキリがなく、感謝の影に、「もっと、もっと」と、ちらりと不平の顔をのぞかせる。
欲は、生きる原動力
「若い人は、いいなぁ。羨ましいわ。
だって、まだまだこの先、長く生きられるから」
そう嘆く、義母。
いまの生活が、一日でも長く続くように願っているようだ。
それは、義母だけの願いではなく、家族全員の想いと合致する。
若い人にも自殺志望の鬱病が蔓延している今の世の中で、
義母には、生きる気力、やる気が、みなぎっている。
やっぱり、わたしには、かないません。
わたしは、へなちょこ世代なんでしょうか。