わたしは、モノゴトを追求するのが苦手だ。
脳が、すぐに音をあげる。
深く、長く、モノゴトを考える耐久力がないのだろう。
ようわからんわ、ハイ、次!
と、次々に、次に移る。
どうせ、次に移ったところで、同じなのだが。
軽薄、浅い。
しかしながら、自己弁護をするようだが、
深く追求したところで同じである。
で、それがどうしたの?
と、なる。
「答えが出ない」という答えが出たとする。
そうなのか~。答えはないのか~。
と、妙に納得し、べつにさらに追究しない。
じゃ、自分で答えをつくるか~、と、しゃかりきになっても、ないものは、ない。
「無意味である」という意味を発見したとする。
そうなのか~。無意味だったのか~。
今まで探求したエネルギー、情熱、時間を返せ~、とは、ならない。
あっさり、無意味を認める。
あ、そ。
そうなのね。
さらに、よく考えると、
無意味って、けっこう、立派な深い意味なんじゃないかって、思ったりもする。
なにごとにも、始まりがあって、終わりがあるんだから、
無意味であったり、答えがなくても、終わるものは終わる。
答えや、意味、・・・
そんなことを追究していたら、ただでさえ、脳に酸素が行きわたっていないのに、自分の持ち時間が終わってしまう。
探求したい人に、ずっと探求しておいてもらって、
時々、「どうですか? あれから新しいコトは発見できましたか?」
と、お伺いを立て、平素は、自分はサボっているほうが効率的だ。
サボっているというのは、自虐的表現である。
サボっているわけではない。自分が動く時を待っているのだ。
やたらめっちゃか、無計画に動き回っても、体力、気力、時間、(場合によってはおカネも)を消耗、消費するばかりで能率が悪い。
当たって砕けろ!は、若い頃のこと。
砕けてばかりいては、体がもたない。
御身大事。
各人に能力を発揮していただいて、ええとこ取りをしたいところだが、自分の身の丈を知るべき。
決して、欲に走らないよう、自分を戒めるよう、こころがけたいものだ。
が、欲のカタマリ。
わたしは、98%の欲と、1%の運と、0.5%の勘違いと、0.1%の努力と、0.01%の能力で構成されている。
合計99.61%。あとの0.39%は、たんなる誤差、解明不可能。
ひょっとして、魔法の劇薬かも知れない。
(ただし、構成比率は、毎日、更新される)
つまるところ、自分の欲との闘いである。
欲張りは、身を滅ぼす。
あまり、我を出さないこと。
なので、なにごともほどほどが、よろしいかと思う次第であります。