蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

吐きそうになる

2024-11-15 | 思い出
わたしは、高校の時、写真部だった。
ほとんど活動はしなかったが。
昔、好きなものは、今も好きなのかなあと思う。
ピアノは、好きではなかった。
練習嫌い。
先生宅でピアノレッスン中、幼稚園の元同級生男子(名前もフルネームでしっかり覚えている)が、同じ部屋で順番待ちしていたが、それが嫌で嫌でたまらなかった。
下手な練習していない演奏を聞かれたくなかった。
苦痛だった。
相手に罪も非もなく、まったく100%自業自得ではあるが。
ピアノの先生のお姑さん(同居)には、同じ家で、習字を習っていた。
2つの習い事が、応接室から和室に部屋を移動するだけで、同時に行えて便利ではあったが。
ピアノの先生は、フルネームで名前も、顔も、声も覚えているが、この優しい人はわたしの小学1年の時の担任の先生でもあった。
先生の舅さん、姑さん、ご主人、2人のお子さん(男児)と住む、閑静な山の手にある家に、わたしは毎週、通っていた。
背の高い素敵なご主人というイメージを抱いている。
といっても当時の私は幼稚園児〜小学生、、、ご主人は、私の父親世代。
2人の男児は、わたしより、ほんの数歳、歳下の下級生。

(昔の思い出を綴るのは、老化防止に良いらしい。
が、読む側にはスクロール、スキップ箇所です)

書道、また、してみようかと、ふと思っている。
大筆から小筆に移り、小文字さらさらになった段階で、わたしは習字のお稽古をやめた。
平安時代の歌をさらさら書くかのごとく、京都の米菓子のパッケージに記されているような、優美な文字。
なのではあるが、当時、小学生だったわたしは、なよなよ字は、嫌だと思った。
なので、小学校高学年で習字はやめた。
ピアノは、幼稚園の時から小学校卒業までレッスンに通っていた。
ろくに練習しないから、上達はとても遅い。

今になって、ピアノ再開。
といっても、またすぐ飽きるかも知れない。
耳で覚えている曲をわりと適当に弾く。
音が濁ると、楽譜をチェックして、左手の指を総動員して抑えている鍵盤と、譜面をもたもた照らし合わせる。 
その度に、曲の流れは遅くなったり、止まったり。
が、リズムはかなり怪しい。速くなったり遅くなったり。
正しい音楽にはメトロノームが必要だが、今のわたしには不必要。
自分感覚。
お隣の家の人は、さぞや、いい加減に曲を弾いていると思っていることだろう。
日中しか弾かないし、迷惑にならないよう、短時間にしている。
というより、わたしが飽きないよう、わたしのために、1日30分にした。
いつ、やめるかもしれない、儚い、わたしのピアノ演奏。
だけど、一から始めるよりは、楽。
幼い頃から(不真面目とはいえ)やっているので、だいたい感覚はつかめる。
回り回って、練習嫌いのわたしにピアノを習わせてくれた親に感謝する。
もう頑張らなくていい時期、林住期に、ぽーんとブランクを隔てて、突然のプレゼントになった。
ハマるかどうかは、わからないが。
明日から、やる気をなくす可能性もある。
何しろ、気ままな性格に、自分ながらほとほと悩まされる。

ちなみに。
話が変わるが。
同じ趣味(ダンス)の、ある人のSNS日記を読むと、すごく不快感を覚える。
共通点があるからだろうか。
自分に、うっとり浸り切っておられる。陶酔。
わたしはそういうのが、とても苦手なのだ。
側に洗面器が必要なぐらい。(嘔吐準備)
人には人の世界があり、不可侵。
呼ばれてもいないのに、嫌なら見に行かなければよい。
近寄らなければよい。
怖いもの見たさに、ついつい、キケン!注意!と、アラームがチカチカしているのをわかっていながら、わざわざ近寄っていく、わたし。
いったい何なのだろう?
そんな、何の得にもならない、くだらないことは、極力避けよう。

わたしは、何に対しても中途半端なので、どうもいけません。
自分より数段、優れて上にいる人に対して、勝手に卑屈になり、イジケる。
そういう深層心理が働くのだろうか。
でも、自分は自分。
亀のように鈍(のろ)くてもいい。
真摯に付き合い対峙する、謙虚な気持ちは大切にしたい。

※写真は日曜日、朝の琵琶湖。

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