蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

若き日は、けしからん日々

2017-12-10 | 思い出
わたしは若い頃は、非常にけしからん人間だった。
人のものを欲しがるわけではないのだが、なぜか、親友の付き合っていた男性や夫とのトラブルで、親友を次々と失った。
何人も重なると、自分に欠点があるのではないかと気づかざるを得ない。

平気で人の彼とデートしたりするからだが、彼も同罪だと思う。
被害者は親友たち。だが、彼を引き止めておけない親友たちにも非はある。
ひょいっと女性が現れて、フラフラするようでは、絆が弱い。
あるいは、友人とわたし、女性としてのレベルが同程度で、どっちもいいなあと迷いが生じたか?
はたまた、二股かけるような男性の誠意のなさレベルが、友人と人間性レベルとしては同レベルだったか?
そういう人と友達だから、わたしも同レベルということか。類は友を呼ぶパターン。
それとも、若い頃にはありがちな、理性より本能が先走る動物としての特性か。

いずれにしても、わたしは友という友を完全に一掃(された)わけで、、、。
同性の友達は、それ以来、できない。
わたしが努力しないせいもある。
別に女性にしかわからない悩みとかを打ち明けてシェア、などということはないし。
懺悔室で神に打ち明ける?
そんな神は要らない。自分が神様だから、自分が赦す。
だいたい、わたしは人は信じていない。自分も信じていない。
と、傲慢というか、独りが大好きなので、どうってことはない。

が、このエピソードは、反省の材料になっていない。自慢の材料にもなっていない。
今日の自分が形成されたプロセスの一部に過ぎない。
開き直り、自己肯定。
少しは検証して修正した方が、人間として磨かれるのだろうけれど。
もう磨いたところで、別にそれがどうした?である。
何事も意識しなければ改善しないだろうが、改善を目的に意識するのではなく、自然な気付きで改善されるのが望ましい。(テキストなしで学習は、時間がかかり能率が悪いだろうが、自分自身がテキスト。時にはわたしの親が、反面教師のテキスト)
わたしは、順序にこだわる。

そういえば、3歳にして早くも客観の目を持つ、真ん中の孫、なんだか、順序にこだわる。
わけのわからない、本人独特のルールらしきものがあり、親やわたしに、めんどくさがられている。
三つ子の魂百まで、だろうか。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ