蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

せせこましい価値観の自分

2018-06-25 | 趣味
昨日、場末のダンス・パーティに参加して、感銘を受けた話を別SNSの自分の日記に書いた。
感激して、帰りの電車内で一気に書き上げた。(大袈裟)
オンボロの汚い、古い建物が会場。聞いたこともない会館名。
行ったこともない、見たこともない地名。

(昨日、帰路で詳細を書いたので、重複するため、以下、省略)

高齢の女性たちの、容姿、体型や技量、能力をものともせず、一生懸命デモする姿に小さな価値観に囚われていたわたしは、元気をもらった。
決して見下したり、馬鹿にしたりしていない。
目の奥がジーンとする。

主催者のプロ先生も独立してまだ2年余りなので、経済的に苦しいようだ。
いずれ立派なホテルでパーティをされるだろう。
(ただし、会費はその分、ぐんとアップ)

趣味や生きがいに取り組む人々は誰しも、平等に楽しむ権利があると感じた。
それは昨日で、今日はまた違う考えが湧き出てきた。
「自分だけが楽しむ」の次は「人を楽しませる」。
さらにその次は、「魅せる」。
と、徐々に段階が上がってくる。

小さなことや、根幹となることに目を向け、気づきをもらう。
自分は人々を魅了するなど無理であるが、心構え、基礎のスピリッツを学んだ。
自分が信じる道を行けば、いずれ行き先に導かれるように思う。

なんか、あっさりした記事になってしまった。
どうも熱がイマイチこもっていない。
何度も何度も繰り返す自問自答がない。
答を既に自分で出してしまっている。
やっぱり先に別の所で吐露してしまうと、パンチがなく、気の抜けた炭酸みたいになる。