命を削る
2021-03-23 | 仕事
この水仙も舅が植えていたもの。
それにしても、毎年、律儀に咲くものである。
さて、自分の幸せを犠牲にして他人を幸せにすることが自分の幸せの人が仮にいるとする。
宗教家か?
決して自分を犠牲にはしていないと推測する。
自分の特性を生かしている。
自分の幸せと人の幸せが一致するのが理想。
自分が不幸なら、他人よりも自分を幸せにするのが先。
それで思い出したが、
NHKテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、鰹節職人が、プロとは?という問いに、
「自分が満足出来るものを他の人に満足してもらえるのが、プロかな」と答えていた。
ちなみに、昨夜、この番組の特別編で、シン・エヴァ劇場版の 庵野秀明監督を特集、放映していた。
この人、肉も魚も食べずにお菓子ばかりボリボリ食べているけれど、60歳でもスタイルも悪くなく健全。
にこやかな可愛い顔をされていたが、取材にはこの番組最長の4年の長きにも及んだ。
モノづくりをする人は気難しい。
昔話「鶴の恩返し」の鶴のように、自分の羽をむしって作品を作る。
命を削って作品を生む。
命がなくなっても、満足いく作品が出来れば本望。命と引き換えに。
庵野監督の手法、、、ため息が出る。
自分を追い込んで追い込んで(まるで)血が出てのたうちまわる、そのプロセスは壮絶。
〆切の日が、最後の吐き出し終了口。
多大なプレッシャーの負荷がかかり、追い詰められて絞り出るものは内臓まで出てきそうな瀬戸際、崖っぷちに立たされる。
スケールや影響力は全く違うけれど、かつての仕事を彷彿させた。
監督が気に入らない部分は自分で作り直すにしても、そのたたき台を何度も何度も作らされるスタッフのストレスは想像に難くない。
しかも、具体的な指示なしで、「そうじゃない」とダメ出し。
どこがどうダメで、どういうのが良いのか、方向性すら定まっていないで。
じゃあ自分で作れ!とブチギレるだろうが、スタッフのエネルギーが続く限り作らせる。
この説明、いかにも浅く薄っぺらで軽い。
つくづく、自分の文章表現力は安っぽいと実感する。
語彙が乏しい、、、。ボキャ貧である。
(読み返してみて自分の熱量が全く伝わっていないと感じる)
あの制作現場のように、あの監督のように、あそこまでエゲツない事はないが、今でも夢に出てくる某プロデューサーがいた。
苦しいあの思い、、、シン・エヴァの制作者たちは、あんな程度の比ではないだろう。
番組を見ながら、わたしまで痛みが伝わり、追体験した。
感情移入というよりは、蘇る感覚みたいなものか。
苦しい現場。
クリエイターは無から何かを作るので、半端ないエネルギーを必要とする。
番組を見終えて、どっと疲れた。
わたしには絶対に務まらない。
が、一丸となり珠玉の作品を生み出すという、スタッフ全員の思いが、監督の指揮や士気によって高揚する。
一人ではなく全員で引き上がる。
、、、
というか、どんな職業も尊いなあと敬服する次第である。