蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

言い訳無用

2021-03-09 | 暮らし
イーチャン、仏出版、応援してます。
それと、パワハラではなく、影響、です。
啓蒙啓発でもある。
往復書簡ブログ内やりとり、なんか楽しい。

わたしは脳内は実にスッキリしているのだが。
一面、お花が咲いているだけだから。
その分、モノが多い。
断捨離は、ブルトーザー破棄が良いと、こころから思った。
残土処理とかは業者にお任せしよう。
あ、リアル美術品は例外。

さて。
災害に見舞われた人々の10年にわたる暮らしを特集している番組を昨夜、NHKテレビで見た。
三人のお年寄り男性。
お二人は80歳を超えてから亡くなったが、お一人は、84歳で今も漁師を現役続行中。
厳しい自然と向き合う職業って、過酷ではあるが光り輝いていると感じた。
海と向き合う。
家族も皆んな、強い。強くなる。

わたしは絶対に無理だから、尚更そう思う。
へなちょこなので第一次産業従事者にはなれない。
もし、農家や漁師の家に生まれていたら、、、?
実際に生まれていないので、なんとも言えない。

農家の人々なら子供の頃、周りにたくさんいた。
どちらかというと、諍いもなく親戚たちは、のんびり、ゆったりしていた。
わたしが子供で親に保護されて大人の世界を知らなかっただけかも知れないが。
土地に種を蒔き育てるには、時間がかかり、持久力がいる。
豪快な漁師さんとは気性が異なる。
多分、水と油。
農業従事者と漁業従事者が結婚すると、キリスト教とイスラム教ぐらい、性質に違いがあるかも知れない。
が、宗派は違えど、根本は同じ。
考え方や表現方法、体現の仕方、見え方が違うだけだ。
さらに、第一次産業以外の従事者はまた違う。
当たり前だ。
業種、勤労形態や内容も時代とともに、移り変わる。
その家族もまた変遷する。

「サラリーマンの妻」というのを、「奥さん」と言った時代があった。
外で仕事をせずに奥に引っ込んでいるかららしい。
今も妻のことを「家内」なんていう男性がいる。
「愚妻」という表現もあり、愚妻の皆さんはカンカンになって怒っている。
外に向かってこともあろうに愚妻だとお??
という憤り。
しかし、愚妻は哲学者を育てる。
ソクラテスは悪妻に悩まされて、大きくなった。
愚妻と悪妻は微妙に違うのかも知れないが。
人を育てるのも大事だが、自分を育てるのも大事。
悩みながらも両方育てばウインウイン。
が、今時、「奥さん」なんていないかも、と思いつつ。
ただし、家の中でじっとしているのはツマラナイから外に出て思いっきり遊ぶ「奥さん」もいるが。

そういえば、先週末、いつも乗る路線バスは、女性の運転手さんだった。
運転手席から発するアナウンスが女性っぽい声だなあと降り際にちらとお顔を拝見すると、楚々としたマスク美人だった。
あんな大型バスをあんなか細い女性が、、、
わたしは運転が限りなく下手なので、女性とわかった瞬間、尊敬してしまった。
女性ドライバーのタクシーには何度か乗車したことがあるが、路線バスは初めてだった。
男も女もない、性差はないとしみじみ感じた。
あの私鉄系バス会社の女性運転手はおそらく彼女が(わたしが知っている限り)一人目なのではないかと想像する。
別の走行ルートでは女性運転手さんも配属されているかも知れないが。
すごいなあ、、、地図が読めない、空間位置関係が把握できない、わたしは、ひっくり返っても出来ない、、、。

しかし、この地図解読、不得意分野にも、性差はないかも知れないが。
封切りされたばかりの韓国映画「野球少女」からも、同じようなメッセージを受け取った。
女子だから、家計が苦しく家族から反対されているから、そういう自分の能力以外の逆風のせいで出来ないと言い訳は見苦しい。
出来ないのは、自分に能力がないからだ、と。

わたしは小学高学年の時に嫌というほど、その現実に向かい合った。
家が裕福な子も、権威者の親がいる子も、ルックスが良い子も、スポーツができる子も、人気がある子も、性格が良い子も、勉強レースでは同じ条件下に置かれていた。
勉強だけを切り取り、他の条件は一切カット。
点数のかさ上げにはならない。
家が裕福な子などは、かえって惨め。
家庭から逆風が吹いていないにもかかわらず、教育ママゴンが、頑張って!と、紅茶とケーキを勉強部屋に差し入れても、本人は頑張れない。
出来ない外的理由があるほうが救われる。
全ての条件をリセットして、一つの分野だけで競うというのは、自分と向き合う以外に方法はない。

まあそういう過酷なレースに、わたしは10歳あたりから揉むに揉まれ、結果的には落ちこぼれたのだが。
落ちこぼれると知識は身には付かなかったが、知恵が身に付いた。
何も価値観は一つではない。
なんでもやっていけるということだ。

というわけで、自分の能力にとっくの昔に見切りを付けているわたしなので、女性なのに、大型バスの運転手業務を立派にやっておられる人を見ると、賞賛、応援したくなる。
もちろん、男性であっても、だ。
皆んな、頑張っている。

頑張ってないのは、わたしだけだが、人の迷惑にならないよう頑張っている。
まあ人には人の道がある。

て、今日のブログ、終盤になってきた。
そろそろ〆ないと。
皆さん、それぞれに頑張っていて、その様子を知ると勇気や活力をいただく。
人々の姿を見て感動してしまう、単純なわたしだ。
10歳のレース体験の後、色んな変遷を経て、脳内にはお花がいっぱい咲いている。
これも不思議な光景である。