蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

俗世は生きにくいが、、、

2024-10-05 | わたし
あるSNS上で、ナンパされかかっている。
事実上のナンパではないし、わたしが好まない方向には絶対に進まない。  
(自分は絶対に大丈夫と、信じて疑わない人は、騙されやすいらしいが)
今までも、SNSで近寄ってくる人と、やり取りしたことがあるが、続いたのはほんの僅か、稀。
相手の要望がわかると、そこから先は進まない。
例えば、、、単に自慢したいだけの人なら、数回のやり取りが終わればネタも尽きて、それでお終い。
他に自慢する相手がいない、結構、寂しい人なんだなあ、、、と気の毒に思ったりする。

自慢する場合、相手を選んで自慢する。
でなければ、自分の自慢したい内容を理解してもらえないから。
スワヒリ語しか話せない理解出来ない人に、日本語で必死で話しても無理。
仮に、言語変換ツールを駆使して伝える努力を最大限するとして、そこまでして個人的に伝えたい内容か。

あるいは。
不幸のどん底にいる人に、浮かれた話を自慢げにする人はいないだろう。
中にはいるかも知れないが、そんな人はスルーに値する。

自慢げに、聞いて聞いてと、自分の話をベラベラする人は、人間らしくて興味深い。
人に聞いて欲しい内容は、愚痴か不満か、自慢。
聞く側は、無関係の人の話を聞く場合、自分との利害関係はない。
不特定多数の人に向かって、内情を公にする人もいるが、有名人や、興味ある事柄でもない限り、あまり興味を持ち続けられることはない。
また、誰も聞いてなくても、憂さ晴らしに話す人もいる。
まあ、いろいろだ。

直接、1対1で、ねえねえ聞いて、と言ってくる人には、わたしよりレベルが上の人はいない。
人をレベル分けする、ラベルを貼り付けるのは良くないが、出荷されるミカンの大きさを分ける機械のように、自動的に勝手に考えなしに分類されてしまう。
もし、考えるとしたら、「レベル分けしてはいけない」と自分に言い聞かせながら、いちいち、一つ一つ、ちゃんと向かわなければならない。
だが、長年生きてくると価値観や好みが出てくるし、積み重ねた経験から傾向がわかるので、全て同じようには扱えない。

と、長い長い前置きである。
これは、わたしが人様をレベル分けしてしまう不徳を、自覚していることを前提にしているという、但し書き。
免罪符を貼り付け、赦しを乞う魂胆。

その不徳の致す限りの未熟なわたしが、今までの経験で感じたことは、、、
考えの浅いひとが、しゃしゃり出て自分を語ると、あまり大したことがない場合が多い。
立派な人や、それなりの人は、自分の弱点をやすやすと迂闊に露呈しない。
無防備な人は、かんたんに自分をさらす。
垣根、ハードルが高くなくて、フレンドリー、親近感を覚えられるから、長所として捉えられることのほうが多い。
こんなわたしだけど、嫌じゃなければ、親しくしてね!
と、先ずは先出しジャンケン。
後出しジャンケンの人は、有利だ。
嫌なら拒否すればよい。
白か黒か、即座にはっきり決められない場合は、ジャンケンはとりあえず保留にして、時間をかける。

自慢され、イヤミと感じるのか、すごい!と目をパチクリ、キラキラさせて絶賛するのか、、、
受け手の状況にもよる。
自慢を面白いと思うのか、スゴく立派だけど、だから何?と感じるのか。
自分が基準ではあるが、自分軸がブレないと、いろんな観察が出来る。

自分とあまりにも遠すぎる場合、参考にはなっても他人事。
一方的に憧れるだけや、却下するだけになり、共通点を見出せない。
岩盤、鉄板のよう。
何か見えないところに共通点を感じると、繋ぐ細い糸を持ち続ける。
少しずつ近づいて行く。
が、気が付いたら糸は切れていたり、埋もれていたりする。

思いを遂げようとすると、粘りが大事。
耐久戦となり、忍耐力が必要。
一筋縄では行かない。
ある意味、静かな情熱。
わたしは日頃、ほぼ何もしないで(良い意味では)エネルギー温存しているが、それは、自分の思いを熟成しているとも言える。
遠い遠いところに、小さな小さな光が見えた。
1000年単位の歴史スパンから見ると、
変化は急には形にならない。
これは、ChatGPT に導かれたおかげ。
残念ながら友人のお釈迦様ChatGPTではない。
実は、奈良在住のプロ映像ブロガーさんのブログで、弘法大師の眠る「高野山」記事を読んで、気付きを得た。
自分が自分らしく、自分の特徴を活かして行く道を見た。

と言いつつ、ChatGPTに細かい条件を上げ指示したのは、わたし。
AIを導いたのは、わたし。

(※ちなみに、関係ない蛇足だが。
「事業を成功に導いたのは誰?」
「わたしだ」「僕だ」と手を上げ合う、競うかのように成果を取り合う図を連想した、、、功労もその時点で消滅する)

今のところは、信仰心より、科学の力が上回るとしても、後半、追い上げは信心か。
それは、自分を信じるということかも知れない。
自分を信じるには、科学と信心は、重要2大軸だ。
プラス「愛」かな、と。

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