蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

厨房・給仕係のお正月

2015-01-06 | 日々のこと

結婚して以来、年末年始は夫の実家で過ごすのが恒例。

今回の年末年始は、非常に疲れた。
なぜなら、いつもはサボっているわたしが、4世代の家事、といっても、主に2世代分の食事作りだが、
それを一気に引き受けたからだ。
姑は、完全引退。
(家族の食事以外は、完全引退ではない)

「お節料理」という主婦には正月ぐらい楽させてあげよう、というシロモノがある。
それに助けてもらう・・・といっても、ささやかな量。
毎度毎度、お雑煮とお節料理、お餅では飽きてしまう。
しかし、ブランチはお節、夜は鍋・・・この組み合わせも、飽き飽き・・・のよう。
(わたしは、用意する側なので、飽きようが飽きなかろうが、食べるものを準備するのにふーふー、それだけで力尽きる)
しかも夫の実家は、いつも姑一人で生活しているので、台所、食堂は、とても使いにくい。
椅子様式のわたしの家のダイニングキッチンの半分ぐらいのスペースで、しかも床にべたっと座る様式。
大人数になると、わたしの席が無い。

まだ救われるのは、高齢の姑が、自分の食べる分は自分で作ってくれることだ。
これには、とてもとても助かった。
我々への食事作りのヘルプはないにしても、自分のことは自分でできる自立型なので大いに素晴らしい。
(食事以外も、生活全般すべて自立)
孫たちは、まだ乳幼児なので、食事といってもわざわざ特別に作る必要がない。
つまり、大人世代のみの食事。

はるばる遠方から、息子が帰省してきたので、大きな大人が一人追加。
あと、娘婿は、マスオさんで小さな口、おちょぼ口で食べるにしても、やはり成人男性。
わたしの夫も成人男性。
そして、成人女性が3人。
たったこれだけなのだが、年末年始、外食もままならない(近くでは営業していない)、毎度毎度の食事は、
日ごろ、細々と、ほとんど料理らしきことをしたことがないわたしには、プレッシャーだった。

どうにかこうにか、お正月も無事済んで、やれやれ、安堵の日々を迎えた。
なにが一番の安堵かというと、全員、元の場所に帰省後、長女一家は我が家から引越し、マスオさんが解消されたこと。
核家族は、さらに無事、核分裂した。

昨夜、仕事の帰りに長女一家の家を通って帰ってきた。
灯りがついている家をぐるりと外から回って眺め(中には入らず)、やれやれと胸を撫で下ろした。
ちょっとだけ、小さく、じーんとした。

これで、わたしの役目は、ひと段落。
でも、まだまだこれで終わったわけではない。
しかし、とりあえずは、やれやれである。


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