ハダンゲルフィヨルドは、ノルウェイ第2の都市ベルゲンの南東に位置していて、果樹の栽培など牧歌的な風景が拡がっています。
全長は179Kmで、ソグネフィヨルドに次ぐノルウェイで2番目のフィヨルドです。
このハダンゲルフィヨルド地区には、コンクリート製の主塔の「巨大な吊り橋」が建設されていました。
これは、首都オスロと第2の都市ベルゲンとを結ぶ国道7号線がハイダンゲルフィヨルドで途切れてしまうので、建設されているようです。
自然景観を重視するノルウェイ政府が、フィヨルドに橋を架けるということは、よほどのこと。
やはり、首都と第2の都市をむすぷ陸路の大動脈に橋が必要となったのでしょう。
私達も、この橋の近くで、フィヨルドを渡る時にフェリーにバスとともに乗りましたが、時間が短縮されることは確実です。
橋が完成すれば、この区間のフェリーは無くなることになるでしょう。
建設現場のすぐ近くを通りましたが、かなり工事は進んでいるようです。
残り工事は桁の架設、取り付け道路工事といったところでしょうか。1、2年で完成するものと思われます。
バスはハダンゲルフィヨルドにそって、今夜のホテルのあるロフトフースに進みます。
泊まったホテルは、ハダンゲルフィヨルド地区ロフトフースにある、「 ウレンスヴァング」でした。
ホテルの部屋からは、ハダンゲンフィヨルドが広く展望出来ました。
この日は曇りでしたが、こうした天気の時も北欧らしさが出ると思います。
ホテル内に飾られていた、ハダンゲル地方のお祝いごとの様子。
民族服を着た女性の肖像。
ホテルの庭にはグリークの作曲小屋がありました。隣には、グリークと二人の女性の木彫りの彫刻があります。
作曲小屋の内部。
グリークの作曲小屋というと、1884年に住家として建設した、ベルゲン郊外のトロールハウゲン(妖精の丘)のものが観光地として有名です。
グリークの年譜によれば、「1877年から1880年まで、ハルダンゲル地方に住み、民族音楽、民族楽器へと傾倒していく」との年譜があることから、この作曲小屋はこの時代のものと思われます。解説板にも、1877年建設とあります。
グリークの作曲小屋は一つではないということのようです。そして、グリークは、このハダンゲルフィヨルドの風景を愛したそうです。
ロピーより一階下の閲覧コーナーにはハダンゲルバイオリンが陳列されていました。この、バイオリンは、「ハダンガーフィドル」などとも呼ばれるノルウェーの1500年頃の国民的楽器です。
4弦の下に、さらに4本の共鳴弦が貼られていて、一人で弾いても二人で弾いているのと同じようなハーモニーが生まれるようです。透明感があり、哀愁を帯びた音を奏でることが出来ると言います。
グリークも、この地方にいた時に、このヴァイオリンの音に魅せられ、何曲か作曲しているとのこと。
有名なペールギュント「朝」の一節も、このヴァイオリンのために書かれた楽譜があるとのことでした。
飾られているヴァイオリンは装飾も見事なものでした。
夕食はいつものようにバイキングなので、魚を中心にしました。何故か、牛肉類は美味しくありませんでした。
お酒はジャガイモの蒸留酒(アクアビット)45度を頼みました。ウェイターがこのお酒を頼んだだけなのに「お酒強いんですね」と私に言いました。日本の芋焼酎のように癖はなく美味しく飲めました。右側のグラスに入ったものがアクアビット。ノルウェイのお酒は高いのが玉にキズ。
日本には、ジャガイモの蒸留酒があると聞いたことがありません。製造してみたら、けっこう売れるのではないかと思います。
アクアビットは、デンマーク、スウェーデン、ノルウェイ、ドイツで製造されているようです。