めいすいの写真日記

いつもご訪問ありがとうございます
500万アクセスを達成しました

枕草子(3)・・・100分de名著

2014-10-21 | 読書

NHKのEテレで放映されている「枕草子・・・100分de名著」の3回目を前回に続き書くことにします。表題は現代に生きる清少納言?

第3回 マナーのない人、ある人

マナーに欠ける人」については、第26段の「にくきもの」に列挙されています。字数にして1700字にも及びます。
なお、「にくい」ということばは、現代語では相手に何か害を与えてやりたいというように攻撃性のある言葉ですが、
平安時代は「気に入らない」「しゃくに障る」くらいの意味で自分自身の中に止まる感情です。

1.マナーの無い人

第26段の中から、ごく数カ所。

第26段 にくきもの
にくきもの。急ぐことあるをりに来て、長言(ながこと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに」とてもやりつべけれど、
さすがに心はづかしき人、いとにくくむつかし。

憎らしいもの。急ぎの用事がある時に来て長話をする客。それがどうでもいいような人なら、「あとでまた」と言ってでも帰すこともできるが、
さすがに遠慮すべき立派な人にはそうもできず、ほんとうに憎らしく不愉快だ。

なでふことなき人の、笑(ゑ)がちにて物いたう言ひたる。火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返しうち返し、押しのべなどして
あぶりをる者。いつか若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火をけの端(はた)に足をさへもたげて、物言ふままに
おしすりなどはすらめ。

大した人でもないのに、にやにや笑いながらやたらとしゃべりまくっているとき。丸火 鉢の火や、炭櫃などに、かざした手のひらをしきりに
ひっくり返し、しわを伸ばしながらあぶっている者。若々しい人が、いつそんなことをしただろうか。年寄 りじみた者に限って、丸火鉢の縁に
足までかけて、ぶつぶつ言いながら足をこすったりするようだ。

また、酒飲みてあめき、口をさぐり、髭ある者はそれを撫で、盃(さかづき)こと人に取らするほどのけしき、いみじう憎しと見ゆ。
また、「飲め」と言ふなるべし。身震ひをし、頭(かしら)振り、口わきをさへひきたれて、童(わらは)べの「こふ殿(との)に参りて」
など歌ふやうにする、それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。

また、酒を飲んでわめき、口の辺りをこすり、ひげのある者はそれを撫で、盃を他人に取 らせるときのようすは、とても憎らしく見える。
また、「飲め」ということか、身震いをし、頭を振り、口までへの字に曲げて、子どもが「守殿にお伺いして」な どと歌うような格好をする。
それが、本当に身分の高い立派な方がなさったのを見たので、ああいやだと思ったわ。

わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひ出でなどするも、ほど経たることなれど、なほにくし。
まして、さしあたりたらむこそ思ひやらるれ。されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。

自分と深い仲になっているのに、前に親しくした女性のことを褒める男、やっぱりしゃくに障る。モトカノのことなんて
褒めたりしないでよ。でも、嫉妬の心がわかず、「にくし」と思わない場合もある。

終わりの部分、無理に断定しないところが清少納言のよいところ?

第26段の最後
あけていで入る所、たてぬ人、いと憎し。

開けて出たり入ったりするところの戸を閉めない人は許せない。寒いときなんか風がビュービュー入ってくるんだから。

しつけの出来ていない親子

第146段 ひとばへするもの
  人ばへするもの。ことなることなき人の子の、さすがにかなしうしならはしたる。しわぶき。はづかしき人に物言はむとするに、先に立つ。
  あなたこなたに住む人の子の、四つ五つなるは、あやにくだちて、物取り散らしそこなふを、引きはられ、制せられて、心のままに
もえあらぬが、親のきたるに所得て、「あれ見せよ。やや、はは」など引きゆるがすに、大人と物言ふとて、ふと聞きいれねば、手づから
引きさがし出でて、見さわぐこそ、いとにくけれ。 それを、「まな」とも取り隠さで、「さなせそ、そこなふな」などばかり、うち笑みて言ふこそ、
親もにくけれ。われはた、えはしたなうも言はで見るこそ、心もとなけれ。 

 人が傍にいると調子づくもの。とくにこれと言ったこともない子で、それでも可愛いと甘やかしている様子。
 咳、こちらが恥ずかしいほど立派な人に何か言おうとするとき、咳が先に立つ。
 近所に住む子で、四、五歳位なのは、イタズラ盛りの困ったもので、ものを散らかしたら壊したりする。それを引っ張って止めていると、
思うようにいたずらも出来ずにいるのが、母親が来たのに勢いを得て、「あれ見せてよ、ねぇ、お母さんたら」などといってはは親の体を
引っ張って揺すぶる。けれど、母親の方は、大人相手のおしゃべりに夢中で、子供のいうことなどはすぐには聞き入れない。すると子供は、
勝手に自分の手で探して引っ張り出してきてひろげて騒いでいるのは、ほんとに癪に障る。それを親は、「だめよ!」と言って取り下げも
しない。「そんなことしないでちょうだいな」とか「壊さないでね」なんていう程度に笑顔で言うにいたっては、母親まで憎らしい。

清少納言の筆は冴え渡り、現代に生きる私達にも思い当たることが多く。自分もこんなことをしたかなと反省したくなるエチケット集であります。

2.清少納言の説くマナーのある人

  第29段 心ゆくもの
 つれづれなる折に、いとあまりむつまじくもあらぬ客人の来て、世の中の物語このごろある事の、をかしきも、にくきも、
あやしきも、これかれにかかりて、おほやけわたくしおぼつかなからず、聞きよきほどに語りたる、いと心ゆく心地す。

 神寺などに詣でて物申さするに、寺は法師、社は禰宜などの、暗からず、さはやかに、思ふほどにもすぎてとどこほらず聞き
よく申したる。

 何もすることがなく退屈な時に、それほど親しく付き合っているわけではない客が着て、世間話をし、近ごろ起こった面白い話や奇妙な
話など、あれこれ話題豊富に話をする。宮中のことでも家庭の私事でも、すこぶる事情に通じていて、しかも聞きにくくなくさらりと話して
くれたのは「ああいい気持ち」と満足感を憶えるわ。 

 神社やお寺などに行って、祈願をしてもらうときに、お寺では法師、神社では禰宜などが、自分の言ったことをよく呑み込んで、明快に
流暢に、こちらの予想以上に、よどみなく聞きよく願いを申し述べてくれた時、胸がすうっとするような気がするの。 

 第247段 たのもしきもの
 心地などのむずかしきころ、まことまことしき思ひ人の、言ひなぐさめたる。

 気持ちがすぐれないときに、本当に誠実で、愛する人が、話をしながら慰めてくれるのは、頼もしく感じるわ。

 第251段 よろずのことよりも情けあることこそ
 よろづのことよりも情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心に深く入らねど、
いとほしきことをば「いとほし」と も、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ」などいひけるを、伝へて聞きたるは、さしむかひて
言ふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにし がな、と常にこそおぼゆれ。

 数々のことよりも思いやりがあることは、男は言うまでもなくて、女でも魅力的に感じるわ。
 何でもない言葉だけれど、心底そう思い込んでいるというわけでなくても。気の毒なことには「お気の毒に」とも言い、
かわいそうなことには、「ほんとにどんなにかおつらいでしょう」などと言ってくれたということを、人づてに聞くのは、面と向かって言われた
のよりも、うれしいわね。

 第281段 陰陽師のもとなる小童べこそ
陰陽師のもとなる小童べこそ、いみじう物は知りたれ。祓などしに出でたれば、祭文などよむを、人はなほこそ聞け、ちうと立ち
走りて、「酒、水、いかけさせよ」とも言はぬに、しありくさまの、例知り、いささか主に物言はせぬこそ、うらやましけれ。
さらむものがな使はむ、とこそおぼゆれ。

 陰陽師のもとで使われている小さな子供達ときたら、何でもよく心得ている。陰陽師と祓えなどしに出かけると、主人の陰陽師が
祭文などを読むのを、多の人はただぼんやりと聞いているのだけれど、その子供はすばやく走り回って、陰陽師が「酒、水を注ぎ
かけなさい」とも言わないうちに、やってのけてまわる様子がいかにも作法をわきまえている。少しも主人に余計な口を利かさせ
ないで済ませるところが全くうらやましい。 このような者がいればねえ、使いたいと思いますよ。

でも、平安時代でなくても、現代でも、これだけの子供はなかなかいないでしょう。主人の望むことを先読みすることが出来るのは
もちろん能力があるということです。

 以上、少し多くなりましたが、私が興味を惹かれた内容を載せてみました。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
枕草子 (dezire)
2014-10-22 17:05:49
こんにちは。ご無沙汰しております。

枕草子は昔勉強しましたが。確かにマナーの無い人も取り上げていましたね。これを分かり易くアニメで表すと、枕草子の話が現代に通用することも分かりますね。枕草子をもう一度予感で見たい気持ちになりました。

私は相変わらず。海外旅行や美術、オペラなどの記事を書いています。よろしかったら覗いてください。
返信する
枕草子 (めいすい)
2014-10-23 02:27:29
 dezireさん、コメント有り難うございます。
 枕草子は高校の国語の教科書に必ず載っています。
とくに、「春はあけぼの・・・」(第一段)は、誰でも読んでいるでしょう。他に、3つほどの段を読んでいるはずです。
 山口仲美先生の講義は、とても面白く、現代的で、訳が素晴らしい。名誉教授そして紫綬褒章を受章しているとは思えないほど、ミーハー的な表現をすることがあり関心します。まさに「ミセス清少納言」。
 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。