めいすいの写真日記

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枕草子(1)・・・100分de名著

2014-10-03 | 読書

秋も深まってきました。「読書の秋」です。私は、最近Eテレの番組「100分de名著」のテキストを買って良く見ています。
10月は「枕草子」ということで、小学館の日本古典文学全集の「枕草子」を注文し、しっかりと読んでみることにしました。
初めて知ったことですが、枕草子は300段ほどの大部の書物だということは驚きでした。
また、50年以上も前に使った高校一年の国語の教科書(角川書店)には、枕草子が掲載されていました。
高校時代の国語の教科書だけは、しまってあったのです。、調べてみたら、とりわけ有名な第1段の「四季の興」として

「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる・・・・」 は当然のことながら載っています。

当時余りにも表現が新鮮だったので、知らず知らずに暗記し、今でも口ずさむことが出来るほどです。それは誰にでも言えることでしょう。
他に、教科書には第7段の「翁丸」第23段の「すさまじきもの」が載っていました。第一段以外にも載っていたんですね。
読み返してみると、ああ、このような内容かとわずかに憶えていましたが、第一段とは明らかに記憶の内容がうっすらとしていました。

そんなことから、この古典の水先案内人となってくれる講師の山口先生から「枕草子」の魅力をもっと味わってみることにしました。
1回から4回まで、25分ごとの講義の内容について、感想をこれから、この欄に追加しながら、書いていこうと思います。

第1回 鮮烈な情景描写

 第1段の「春はあけぼの」、清少納言が瞬時に鮮やかに切り取った、斬新な情景です。ここでは私が使った国語の教科書では、なじみの
ない段の説明から感銘を受けたものを書いてみますが、いかに研ぎ澄まされた五感を駆使した描写力であったかと驚きます。

 第280段 「香炉峰の雪」
 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、「少納言よ。香炉峰の雪
いかならむ」と仰せらるれば御格子揚げさせて、御簾を高く上げたれば、笑わせたまふ。
 人々も「さる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほこの宮の人にはさべきなめり」と言ふ。                   
  一条天皇の皇后である定子(藤原道隆の子)は才色兼備で、和歌、漢詩などに通じ宮中サロンを見事な手腕で運営していました。
 定子の17歳の時に、その女房として使えたのが10歳ほど年上の清少納言、こちらも父親が清原元輔で勅撰和歌集に100首も
選ばれている和歌の世界のスーバースターの子。その血を継ぎ教養豊で文才はあった訳です。でも、和歌はあまり得意でなかった
ようで韻文型でなく、散文型の人だったようですが・・・。
 定子と清少納言の運命的な出会いにより「枕草子」は書かれたと言われていますが、清少納言が白居易の詩「香炉峰の雪は簾を
かかげて看る」と理解し、機転を利かせて、定子の要望を叶えるという下りは二人ともが中国の古典に精通しあうんの呼吸だったと
知ることが出来ます。

 第216段 「月のいと明きに」
  月のいと明きに、川をわたれば、牛の歩むままに、水晶などの割れたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ。
  牛車で月の夜、川を渡るときに、飛び散る水が、水晶が割れて飛び散るように見える。というのは、そのきらきらと光る情景が
印象的に伝わってきます。その絵画的描写力が見事です。

  第190段 「心にくきもの」
 よう打ちたる衣上に、さはがしうはあらで、髪のふりやられたる、長さおしはからる
 よく打って艶のでた衣の上に、髪がさっと振りかけられたときには、髪の長さが分かってしまう。
 えっ、本当というような話です。それだけ聴覚が鋭敏であったということですね。なお、「心にくきもの」とは、おくゆかしいものの意。
 
 たきものの香、いと心にくし五月の長雨のころ 上の御局の小戸の簾に斉信の中将の寄りゐたまへりし香は まことにをかしうも
ありしかな そのものの香ともおぼえず おほかた雨にもしめりて 艶なるけしきの めづらしげなき事なれど いかでかいはでは
あらむ またの日まで御簾にしみかへりたりしを 若き人などの世に知らず思へることわりなりや
  これは香の話、斉信の中将が小戸の簾に寄りかかって座っていたときの香りは素晴らしいものだった。翌日まで香りが御簾にしみこんで
匂い立ったのを、若い女房達もキャーキャー騒いでいるのも、無理がない。
 この時代、男女は視覚の利かない闇夜での逢瀬に鍛えられています。宮中の女性が香りに限りなく敏感であることは、何か官能的なもの
さえ感じてしまいます。 京都では、今でも独自の香を調合する店があるようですが、平安時代の雅の伝統が今も残っているのですね。

ところで、なぜ清少納言は「若き人」と書いたのでしょうか、実は斉信の中将と清少納言の仲は・・・。



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